じゅうりょく
安定する。
でもそれは、地球だけじゃない。
重力があってくれて、ヒトも、モノも安定して活動が出来る。
もしも重力がなければ、フワフワとして、埃のように漂うだけ。
ヒトにとっての重力は、地球だけでないような気がする。
ヒトが安定する為には、地球の重力はもちろんだが、カラダの重力、そして他者の重力が必要と思う。
まずカラダの重力。安定した健康状態の上で、精神状態も安定でいられる。
健康状態ならば、自分のカラダのコトなど、考える必要はない。
一度思えば、その通り動いてくれて、何もする必要がない。
ただ、カラダが不調だとすると、そうはいかない。思っても、その通りカラダは動いてくれない。
意志のほとんどが、自分のカラダの方に持って行かれ、カラダに合わせての行動になる。
いつでもカラダから、不調を知らせるメッセージが来て、予定や何もかもを、キャンセルしなければイケない。
それはまるでカラダの重力が、弱まったように感じる。
不安定というのは、絶対のモノでなくなった状態。
地球の重力も絶対なモノと信じているが、もし不安定になれば、味わったコトのない災害となる。
カラダが健康で、その上に立っていられるから、普段何も考えずに生活は出来ている。
では、もう一つの他者の重力はどうだろう。
ヒトにも重力があると考える。ヒトに認めてもらうコトで、ヒトは安定出来る。
それは甘えられる関係と、言い換えてもイイかもしれない。揺るがない肯定の中で、ヒトは深い呼吸が出来る。
誰からも否定されれば、居場所が無い。つまり社会全てが、敵となり落ち着かない。
社会が銀河だとすれば、そこからはじき出されながらも、その中で生きていかなければならないという感じだろうか。
流れ星だといえば聞こえは良いが、どこかの惑星の引力に取り込まれなければ、衝突を待つだけの危険な存在。
他者の重力に取り込まれるコトで、ヒトは平穏に生きていられる。
安定して生きていく為には、地球と、カラダと、他者の重力が必要になる。
ほぼ意識などしないで、生きていけるが、その環境はとてもありがたいモノ。
ゆらゆらと揺れている中では、いつでも備えないといけない。気が休まる時間はない。
無重力の中では、敵や環境の変化に怯えながら、生きていないといけない。
地球とカラダと他者の重力のおかげで、安定しリラックス出来る。その心地良さを味わえる。
休息したら、活動したくなってくる。その繰り返し。
意識しないが、重要なモノは周りに沢山ある。それらに守られている。
重力は、依存。甘えられる環境があって、安定した暮らしが展開される。依存し合いなら、必要かもしれない。