えすかれーしょん

たいりつてん

たいりつてん

食い違いだろうか。

日常は、それの繰り返し。

ヒトの営みの中で、日々起こる対立。その対立点を、考えてみる。

対立の元となるモノを、まず確認したい。

対立がある場合、方式や、考え方、能力、心構えなど、実際に違いが生じている。

違いが生じた上で、それを主張しあえば、対立となる。

無限にある可能性の中で、みんなが同じになるコトの方が、珍しい。

違いというのは、当然生じる。

どちらが正しいか、そして好ましいか。それを争っての対立になる。

とすると、対立点はより良いモノを目指すモノと言える。

確かにそれもある。でもそれだけではない。

まず不満がある。

それをぶつける為の場所を、探している。その場所になるのが、対立点。

他に原因があって、その不満のやり所に、対立点を利用している。

対立点があって、対立があるのではなくて、不満のやり所の為に対立している。

不満が無くなれば、対立はしないのだろうか。

不満が無くなり、冷静になれれば、対立しても穏やかでいられる。的確な対立になる。

不満があると、やり過ぎてしまう。感情論になり、対立点からもズレていく。

いつの間にか、相手の否定合戦になってしまう。

対立はしても良い。でも相手の否定に置き換わってきたら、気をつけた方がイイ。

とても自然に、別物になっていく。気づかぬうちに、お砂場のケンカになり果てていく。

もしも可能ならば、対立点を明確に紙に書いておく。

もしもそこからズレて来たなと思えば、一度遮断する。

お砂場のケンカをしても良いが、おそらくそれは望んでいなし、まさかそうなっているとも気づいていない。

いつでも対立点に立ち返り、その範囲内にいるかどうかの確認をする。

それを心がければ、対立の質というのは変わってくる。あくまでも冷静に、そして的確になれる。

もう一つ重要なのが、立場。そしてチカラ関係。質の良い対立をしたいのであれば、対等でなければならない。

対等でないとすると、最初から話し合いではない。それは今流行の“ゴリ押し”となる。

チカラのあるモノが、自分の考えを”ゴリ押し”するだけになる。コレも改めたい。

気をつけていきたい。よくあるコトであるし、自分もよくしてしまうコト。

それはずるさであり、甘え。話し合いというフィールドならば、ずるさや甘えは置いておかないとイケない。

もしも立場やチカラを振りかざしたいのであれば、話し合いをするべきではない。

話し合いが出来るだけの、条件を満たしていない。

話し合いにおいては、対等を厳しく意識する。そして対立点を、いつでも確認していく。

話し合いはフェアであり、より建設的なモノ。世の中には、アンフェアが横行し、“ゴリ押し”ばかり。

まだこの社会はその段階。それは、国際的な場から、身近な所までさして変わらない。

正直それは能力の無さを、示している。いや、まだそれで良い。

自分もヒトに言えるほどではない。というより、今日のこのブログを書きながら、ああそうなのかと、反省モードになってきている。

少しずつ変えていけば、良いと思う。チカラや立場を使う甘えを捨て、対立点をいつでも意識する。

対立の質を、建設的に。相手をやり込めるのではなく、良いモノを頂戴するという気持ち。

もちろん、良いモノが出てくれる保障はない。その時はその時。そういうモノ。

対立点の中で、より良いモノを探し向上していく。「あ!それいいね!」の一言で、良いモノは頂戴出来る。

共感を示し、許可を貰って、向上する。その為の対立としたい。

対立点は、冷静さ。感情的なってズレるし、力づくの甘えもある。対立せよ、ただし向上せよ。・・・・かな。

-えすかれーしょん