しゃしん
音のない世界。
どんなに泣き叫ぼうと、聞こえはしない。
写真からは聞こえない。でも、その叫び声は、痛いほど響いてくる。
なぜ響くのか。音が無いのに。
写真が伝えるのは、情景。表情。
それだけ泣き叫んでいるのならば、強烈な声が聞こえてきてもおかしくない。
それなのに、声が聞こえないとすると、とても不安になる。
あるべきハズの叫び声が、キレイに切り取られている。
ヒトは五感を通して、総合的に判断している。
重要な要素の一つが切り取られる。それは片方の翼をもがれたようなモノ。とても不安定で、それが不安の原因。
バランスを失った状態が続けば、墜落してしまう。それで補完という作業をする。
補完をして、自分で叫び声をイメージする。でもそれは全て作り物。
補完はされるが、ウソの作り物なので、不安感は残る。
もしも叫び声があったならば、その場で終わるコトが出来る。
通常のコトとして、処理出来る。
でも、重要な部分が欠けていると、終わらせるコトが出来ない。頭の中で補完のループが続く。
それは、永遠のトルネード。徐々に薄れて小さくなっていくが、何度も何度もくり返される。
ループは永遠の一つ。
一つの重要な要素を切り取るコトで、永遠という世界に触れさせるコトが出来る。
永遠というのは、憧れであり恐怖でもある。
創造物であり、ウソでもある。
その永遠に触れた時、何かを体験する。何か、別の世界を旅するような感覚に陥る。
どうしてだろう。でもなんとなく、分かる気がする。不安定な、その中での補完。
自分の心の深い、基礎となる部分にまで、探しにいく。普段は行く必要のない、自身の深い部分。
そこはおそらく、自分からも離れた共有部分。ヒト誰しもが持つ、共通する部分。
共通する部分なので、自分という色もついていない。深く普段は眠っている、太古の記憶。
その太古の記憶が、永遠を感じさせてくれる。
重要な要素が切り取られるコトで、普段は出逢うコトのない、自分の中の永遠にまで触れるコトが出来る。
深くなれば深くなるほど、自分の中は他の生命、さらには他の物質にも繋がっている。
自分の中にも、世界が記憶されている。個を離れた、全宇宙が記憶されている。
それはウソや創造物ではなく、事実。ただ、かなり深い所。そこでいつも眠っている。
意識は出来ないが、感じているのかもしれない。太古の記憶を。
それに反して、個を優先する行動をとった時、太古の記憶が痛み、自分を傷つけるのかもしれない。
自分の基礎となるのは、全宇宙の太古の記憶。自分以外の他者も、自分の中に居る。
なので、他者の否定をするほどに、自分を痛めつける結果になるように思う。
写真は、導く。あるべきモノが無いと、バランスをとる為に、深い所まで探し出す。そこは、太古の記憶にも繋がっている。