ふしん
始まりは、思いやりから。
労働の原点を、考えてみる。
おそらくは役割分担。純粋な思いやりで、成り立つが、それは早い段階で破綻する。
純粋な思いやりでも、不公平感は出る。
役割分担のハズが、あきらかに不公平な負担と感じるようになる。
その不信が、お金を生んだと考える。
お金は働く側、支払う側、双方に拒否権がある。
嫌であれば、止めるコトが出来る。これが、ほとんどの不信や不満を解消してくれた。
と同時に、飛躍的に労働を難しくした。
その難しさから、従うモノと、支配するモノが自然に生まれてくる。
お金のやり取りが絡む労働というのは、非常に厄介。ヒトのわがままに沿わないとイケない。
それだけで、かなりの重労働。
お金が生まれたコトにより、新たな役割分担も生まれたと言える。
他にはどんなコトがあるだろう。
お金が無かった時代に、一つのモノを取り合って、ケンカになっていたとする。
一つしか無ければ、どうしてもケンカになる。それをお金が埋める。お金によって妥協させる。
お金はそのモノにはなれないが、新たな価値として、納得になる。
感情的ではなく、とても冷静に価値の計算をしだす。打算もこの時生まれる。
不信や不公平感を無くす為に、生まれるべくして生まれたお金。
その副産物として、支配する側と従う側が出来る。結局厄介すぎた結果、ギリギリ人の手に負えるぐらい、高度さになった。
高度なために、労働者に求められるモノは、とても厳しい。
お金が生まれたコトで、経済のそれは、ヒトの欲望のカタチになったと言ってもイイ。
ただ、お金が流通して主役になるのは、じつはかなり希。よほど高度か、平和な時代が続かなければ主役ではない。
つまり、もっと実質的なモノが、主役になる。塩、米、布など。
あまりに支配が強く、経済の本流が生活者にない場合、おカネは上手く流通してくれない。
さらには、活動が自由で無い場合も、うまく流通しない。
お金が流通しているというのは、平和であるという証拠とも言える。
お金はヒトしか使わない。しかも平和で平等で、自由でないと、お金のシステムは機能しにくい。
労働を掘り下げて考えてみると、お金に辿りつき、さらに辿ると、またいろんなコトが見えてくる。
お金は難しい。というより、ヒトは難しい。
不信は求めた。お金はヒトの要求を、カタチにする。厳しすぎるお金が主役の時は、生活者も主役。