じざい
自由では足りない。
まだ民主主義と、言えない。
自由の次の段階、自在になって始めて民主主義が始まる。
自由というのは、強制されないコト。
ヒトが作り出した社会は、よく強制をしてしまう。
自由でない時代というのは、権力者により、強制というモノが横行する世界。
その強制を否定したのが、自由。してしまうからこその否定。
でも、自由が最終段階などとは思わないで欲しい。
自由は権力者に、強制されないと言うだけ。まだ、その先がある。
民主主義は、国民の為のモノ。いわば国民自身が、権力者と言ってもイイ。
特定の人間だけが、政治をするんじゃない。一人ひとり全員が、政治をする意識が民主主義。
そしてそれを進める為には、もっと自在にならないとイケない。
国民がおかしいなと感じるコトは、すぐに修正して、改めなければイケない。
なぜかとても不自由で、あまりにも変わらない。
おそらくは政治が特別なモノとして、確立しているから。特別なその地位があるから。
地位というのは、原始的なシステムで、それがなければ出来ないというモノではない。
地位が欲しくなるのは、依存、そして無責任。ここからくる。
もしも国民一人ひとりが、自分の問題として、責任を持つ意識があれば、地位は要らない。
責任などと言うと、恐くなって逃げ出したくなるが、現状政治家がまともに責任を取ったコトなど無い。
政治家も逃げるだけ。なので、安心して欲しい。ハードルは驚くほど低い。
言い換えれば、まだ改善の余地を大いに残す、貧弱な政治体系。
国民が生活していく中で、おかしいと思ったら、変えてイイ。いや、変えなければイケない。
変えた後、うまく行かなかった場合、すぐ修正する。何度修正してもダメなら、最悪元に戻す。
最悪元に戻せばいいと考えれば、責任の重さも、軽減されるように思う。
もしもすぐに変えるコトが出来ないシステムなら、そこに問題は隠れている。
場所が分かれば、ほじくればいい。問題のある所をほじりだして、取り除くだけで作業は終了する。
権力者の為ではなく、国民の為にあるのが政治。それが民主主義。
自由の次の段階の、自在に転換していかなければ、いけない。
一つ段階が進むと、次の段階が見えてくる。それが最後かと思うと、まだ次がある。
この世の中の階層は、興味深い。どこまで次があるのか、今の自分の能力では、見当もつかない。
進むしかない。いや、現状に満足せず進んで欲しい。第一段階として、依存や無責任の世界から、抜けるコト。
自在は、次の標準。依存や無責任を棄て、国民の手での政治。やっちゃえば、それが当然になっていく。