へいこうせん
質問してみた。
お勉強が出来るヒトとは、やはり噛み合わない。
ネット上の質問サイトに、ある件で訊いてみた。予想通り、平行線だった。
それは私が、用語を知らないから。そして彼らも、核心を見ているワケではないから。
とても丁寧に答えて貰った。言い回しが粗暴なヒトもいたが、そんなのは関係ない。
私は子供の頃から、説明が複雑なほど、そのヒトの理解度を疑っていた。
本当に分かっていれば、とてもシンプルな答えになる。そのコトを子供の頃から、感じていた。
高度で複雑な説明ほど、本人も実は分かっていない。その定義は、今でも変わらない。実際にそうだと確信している。
私の質問に対して、6つ程回答を頂いた。
私は概念だけで質問してしまう。相手も、お勉強した中から答える。
どうしても噛み合わない。それはある程度予想もしていた。でもこちらは使われている用語も知らないから、しょうがない。
であっても、回答して頂いた中に出てくる用語は、その分野のその近辺のモノ。
Wikipediaを見て、ひとつひとつ確認は出来た。これだけでも成果として大きい。
私が質問したのは、科学や物理のジャンルに入るモノらしい。
説明する為の用語と、数式が沢山並んでいた。
そこで気づく。用語や数式は並んでいるが、核心までの答えはない。
噛み合っていないとはいえ、そこには明確にしておきたい、何かがある。
大きいのは核心、つまり本当の答えに辿りついてないのに、それなりに成立してしまっているコト。
そして何よりも、そのことに気づいているヒトが、少ないコト。
これはどういうコトだろう。答えを追求するのが、理科という科目。なぜそれを許せるのだろう。
数式が出てくる。これは条件が同じなら、100万回やっても同じ答えが出てくる、揺るがない規則性。
その規則性を、数式にしたモノ。実験を繰り返し、丹念にその規則性を揺るがないほど、高めたのだと思う。
揺るがない規則性が分かれば、それをヒトが使うコトも出来る。
同じ振る舞いをしてくれれば、いろんなモノに利用出来る。使うコトを考えれば、規則性だけで充分。
でも、それでは核心までいっていない。現象を正確に説明、使用出来るだけ。
なぜそうなるかの説明には、至っていない。それなのに成立してしまっている。そこが引っかかるポイント。
揺るがない規則性を表す数式というのは、とても高度。得意なヒトならば何でもないだろうが、そうでなければハードルは高い。
おそらく使いこなせるのは、100人に一人以下になってしまう。
さらに数式や用語は、全てを解っているというような、印象を与えてしまう。
ここがマズイ。おそらく核心は解っていないと気づくヒトは、千人に一人か1万人以下に減ってしまう。
数式は、揺らがない規則性を表したモノ。用語は、現象や想定についている名前。
核心まで辿りついている保障は、無い。
まだ分かっていない所は、そのように明示してくれればいい。そうすれば、考えるヒトが増員される。
でも、そこを言わないので、疑いを持つヒトが圧倒的に減る。
それは弱み。核心を見ないというのは、浮き草の上で成立している。とても不安定な状態。
ここはまだ分かっていないと、明示して貰えば道は拓ける。
数式や用語は、無駄なモノではない。核心に近づく為の、とても重要な手がかり。
本来はその手がかりで、核心まで迫っていける。それなのに、全てが解っているような振る舞いをするので、遠くなる。
これは、大きな損失。
まだ核心まで、届いていない。数式は、分かっているからではなく、使用する為だけのモノ。
用語も、現象を表すモノや、想定、もちろん核心に至っているモノもあり、混在している。
そこはよく確認したい。多くの場合、まだ核心まで辿りついていない。つまりはひっくり返る可能性を、否定出来ない。
ただもしかすると、研究者達もそのコトに、気づいていないのかもしれない。気づいているのは、少数派。
平行線は、異領域。数式も、用語も、その働きを示すモノの再確認をしたい。高度で複雑な説明は、核心まで辿りついていない証拠。