えすかれーしょん

だれでも

だれでも

そこに甘えがある。

主従や、上下は甘えの構図。

日本人なら誰でも、その甘えの構図の中に居ると言ってもイイ。

日本社会で一番気にしないとイケないのは、身分や立場。

これをおろそかにして、日本では生きていけない。

これは、日本の中に対等という考え方がないから。対等というのはとても冷淡で、厳しい。

上下というのは、下の者も上の者も、甘える関係にある。

武士も、農民に甘えているだけの存在。主従や上下とは、短絡的で依存の体質。

対等というのは、相手に依存しない、またはし過ぎない。割り切った関係。

そこに必要となる概念は、役目。日本の中では、この役目の概念が乏しい。

社長はその役目を果たし、従業員はその役目を果たす。ただそれだけのコト。根底は対等。

総理大臣は、その役目を果たせばいい。他の大臣もその役目を果たすだけでイイ。

国民も、知事も、大臣も、すべて対等。役目が違うだけ。100%その役目を果たす。それだけ。

ただ、身分や立場があると、その役目はぼやける。

立場の権限を振りかざして、ポジションを操れる。それが恐くて、強い権限を持つ者の周りは、イエスマンばかりになる。

総理大臣の周りも、イエスマンばかり。持ち上げるモノばかり。

たまにそれを真に受けて、ふんぞり返ってしまうヒトが出てきてしまう。

イエスマンや持ち上げるヒトは、すべてウソ。自分の立場を、優位に持っていきたいだけのヒト。ダマされてはイケない。

すべてが対等と位置づけ、その役目だけを果たせば、惑わされない。

対等が崩れる所は、甘えの構図になっている。根底には対等が必要。

でも、すべてがそこまで厳しくなくてもいい。プライベートなどは、対等を崩して甘えあっても構わない。

対等でいないとイケないのは、社会の中でのコト。社会の中で、対等で、自分の役目を果たしていく。

多少ならば、社会の中で対等を崩してもイイが、甘えの構図では役目が鈍るというコトは、意識しないとイケない。

役目よりも、身分や立場で物事が進む世界。それは日本の社会。というよりも、原始的な社会。

成熟した社会では、持ち上げあられて、浮かれながらする仕事などない。

ふんぞり返って、良い仕事が出来るハズがない。

純粋に役目を見つめ、それだけをする。立場に甘えない。

対等を徹底し、立場や上下を追い出していく。それが良い仕事をする、必要条件。

誰でもは、この原始社会。その身分や立場で、本来なすべきコトが鈍っている。しつこいが、重要なのは対等と役目。

-えすかれーしょん