みず
高い所から、低い所へ。
カタチを変え、巡りめぐる。
水は、そのカタチを変えながら、地球上を巡っていく。
お金というのも、ヒトとヒトのあいだを巡り、経済活動を象徴する。
お金も水のように、循環出来ないモノか。いろいろ考えてみたい。
水というのは、生命にとって欠かせないモノ。でも、あまりに沢山の水を溜めても、邪魔になるだけ。
安定して、使える水というのが好ましい。
その為にヒトはダムを造り、水道を整備して、水が安定供給されるシステムを作った。
お金はどうだろう。お金は誰かに何かをして貰った時に、交換に渡す紙切れ。
それを回しながら、人びとの生活は豊かになっていく。
お金が水と違うのは、お金のカタチだけではなく、数字のお金にもなるというコト。
銀行にお金を預ければ、お金が数字になった通帳をくれる。通帳はお金ではなく、約束。
銀行は数字のお金を渡して、実際のお金は他のトコロに、又貸しをする。
又貸しをした時点で、銀行も数字のお金をもらうコトになる。
水は、又貸しなどしないし、数字の水というのはあり得ない。でもお金は、数字のお金が許されている。
それから、水は大量に持っても邪魔なだけだが、お金は邪魔にならない。
数字のおカネに変えてしまえば、もっと邪魔にならなくなる。ここが、水とお金の大きな違い。
お金が邪魔にならないというコトは、必要以上に持てるというコト。
水は必要以上に持っても、邪魔なだけだが、お金は一人で大量に持つコトも可能というコト。
もしかすると、そこがお金の問題点かもしれない。大量に持ててしまうと言うのが、様々な問題を生んでいるのかもしれない。
水はなぜ大量に持てないのだろう。それはその質量と体積。大量に持つほどに、その置き場に困る。
さらには滞るほどに、水は腐っていく。水は巡り巡って浄化される。でも、溜めてしまえば腐って質が落ちるだけ。
お金というのも、もっと質量と体積を持ち、滞ると腐るように出来れば、形が変わっていくかもしれない。
お金は持ちすぎても困る。となれば、お金への執着は少なくなる。
それよりも、誰かに何かをして貰って、余分なお金を渡した方がイイ。
安定した供給を求め、そしてお金を使用するコトも、求めるようになる。
貯めようなどという考えは、起こりにくくなる。
大量に持つコトに価値が無くなったお金は、本来の何かをして貰った時に交換に渡すという意味に帰っていく。
何かをして貰うという意味が、強くなる。つまり、何をして貰おうかというコトを、探すようになる。
何も出来ないというヒトでも、これを手伝って、アレをやってと、出来そうなコトを注文するようになる。
それでお金をもらえるようになると、何も出来ないと思っていたヒトも、アレが出来ますこれが出来ますと、自分から言えるようになる。
もしかすると、そちらの方が、ニンゲン本来の労働なのかもしれない。
現代は、ニンゲンの労働があまりにも高度で、この先もその方向性は続いていく。
そうすると、一部の人間と機械だけが必要で、あとの人間は溢れるコトになる。
これもすべては、お金を大量に貯めるコトが出来る所為。そのお金の特質は、不健全なのかもしれない。
水は、あり過ぎれば邪魔。お金も邪魔になれば、ヒトの重要性が増すように思う。未来のお金は腐りやすい、というのどうだろう。