ゆうえつ
劣等感では、覚えられない。
覚られる条件がある。
ヒトは優越感を味わいながら、物事を覚える。
条件としては、前で完全に捉え切るコト。
後ろに逸らしてしまえば、取り戻すのに苦労する。最悪見失い、そこから分からなくなってしまう。
取りこぼした段階で、後ろに下がってもう一度、完全に捉えきる必要がある。
後ろに逸らしたモノは、意識して取り戻さないと、いつまでも穴になる。
その虫食いが一定量以上になれば、まるで意味が理解出来ない状況になってしまう。
取りこぼしてはイケない。穴は埋めないとイケない。
ヒトは覚えるスピードがそれぞれ。ジャンルによっても、それぞれ。
捉えきれる量も、それぞれになる。
同じスピードで、同じ量を覚えさせようというのは、教える側の都合。
もともと同じにしてイイ物ではない。それぞれのスピードや量を守るべきモノ。
そして、前で捉えないとイケない。後ろに逸らした段階で、覚えるコトは出来ない。
その関係性を、理解して欲しい。
現状では、一人の優等生を作るのに、大勢の劣等生を犠牲にしている状態。
本来は、犠牲になるニンゲンなど存在してはイケない。
全てのヒトが、その時は原点ゼロ。そこから、捉え切って覚えて進む。
後ろに逸らしたモノは、漏れ。この取りこぼしだけを意識する。
取りこぼしをまた前から捉え、完全にモノにするまでくり返す。それで犠牲者はいなくなる。
差を付けるのは、犠牲者を肯定してしまう。
それでは一部の窮屈な優等生を生むだけ。優等生であっても、いつ踏み外すか分からない、落ち着かない状況。
優等生のポジションでも安住はない。
条件は、前で捉え切るコト。優等生も、犠牲者も必要ない。
欲しいのは差ではなく、配慮。ヒトの覚える条件を知った上での、丁寧な配慮。
優越は、恐怖。いつ失うかもしれない、グラついた土台。安定して、取りこぼさず覚えきる。差なんて、その後つければいい。