えすかれーしょん

みかえり

みかえり

太陽は求めはしない。

大きなモノというのは、与えるだけ。

どうしても、自分は見返りというのを求めてしまう。

わざわざ、してやった。など、とても恩着せがましい。

意識してそうしないように勉めても、深いトコロで見返りというモノを求めている。

見返りが少なければ、苛立ち、やる気を失う。

太陽は熱や光を出し続けるが、何も見返りを求めない。

地球も、何一つ見返りというモノを、求めやしない。

求められたとしても、実になるモノは返せるハズもないけれど・・・・。

見返りを求めるのは、小さいからなのだろうか。恩着せがましいのは、損をしていると感じているからだろうか。

得をしないまでも、損はしたくはない。そんな想いが、根本にある。

でも、誰かが自分の為にしてくれているというのは、まったくもって気がつきにくい。

空気や太陽の光のように、降り注いだりそこにあって当然としか、認識しない。

受け手はその背景まで、考えたりしない。そこで動き回るだけ。

それでも大きなモノは、何も求めず、与え続ける。

大いなる孤独だが、与えるコトによって、沢山の命が芽を吹き出す。

太陽や地球は、本当にただの物質だろうか。それだけで済ませてイイのだろうか。

何も意志を持たず、何も想うことなく、何十億年も存在し続けているのだろうか。

損得勘定で、蠢く生命たち。一切の損得なく、与え続ける孤独な太陽や地球。

逆に生命がいないと考えると、太陽は何の為に宇宙を照らしているのかと、疑問に思う。

それは、とてもマヌケに映る。本当に、ただの物質に成り下がってしまう。

生命がいて、彼らはより大いなる、母なる存在になれる。

生命は、そこに生きていてイイ。それこそ、太陽や地球を、孤独から引き上げる要素。

見返りを求めるような、チマチマした生き方も、小さい存在にあっている。生命なんて、そんなモン。

見返りは、釣り合い。対等なモノなら、見返りを期待して、バランスをとってもイイ。なので太陽や地球とは、すべてにおいて対等にはなれない。

-えすかれーしょん