かお
体の表面の一部。
脳を守る頭蓋骨の外側の、感覚器が集中している場所。
顔を見て、いろんなコトをヒトは判断している。この表面の顔というモノは、一体何だろう。
体の表面にある部分でも、かなり重要な場所という位置づけ。
確かに、目や口、鼻、耳、重要な感覚器が集中している。
重要な感覚器を失えば、かなり不便になるコトは、容易に想像出来る。
それで、顔というのは重要なのだろうか。いろんなコトの判断に、使われるのだろうか。
考えるに、顔を見て判断する時は、感覚器であるというコトを意識はしない。
それが重要な感覚器であるとは言え、判断には大して関係しない。
もしも、同じようなつくりで、感覚器でなかったとしたら、どうなるだろう。
本当の目は別の場所にあって、目のつくりによく似たモノが鼻の両脇についていたと、仮定してみる。
目のように見えるが、見るという機能はついていない。その時はどうなるだろう。
相手は、そこからは見ていない。本当の目は別の場所。
すると、自分の行動に対して相手が反応してくれるのは、本当の目がとらえた時のみ。
もしも、本当の目が後頭部にあったとすると、自分の行動に相手が反応するのは、真後ろに行った時だけ。
やはり自分の行動に対しての反応は、気になるモノ。おそらく本当の目の方いって、見てもらう。
自分の目も後頭部についているとすると、お互い後ろを向いた状態のコミュニケーションになるハズ。
どうやら、ヒトは自分がどう見られているか、とても気になる生き物だと想像出来る。
後頭部では、リアクションが見え辛い。髪の毛が邪魔をするので、毛というのは顔から取り除きたい。
それでは、口に似たようなモノがついていて、本当の口が別にある場合はどうだろう。
口の役目は、呼吸、食事、会話。
口のようなモノはあるので、表情は見える。
本当の口の場所によって、コミュニケーションの取り方は変わるが、判断は変わらない。
口のようなつくりがあれば、顔は顔として判断される。
鼻も同様に場所を移動しても、鼻のようなつくりがあれば、顔として意味合いは変わらない。
どうやら、感覚器として重要な意味を持つのは、目だけのように思う。
ただ、口というモノはよく動く。よく動くと言うコトは、表情として伝えやすいと言えるかもしれない。
とすると、表情や言葉を伝える為に、口も目と同じ側についている方が都合が良い。
さらには、口に入るモノを安全かどうか判断する為に、鼻が付いているのだろうとも推測出来る。
ヒトにとって、顔は重要である。それは、コミュニケーションをとる道具として最適だから。
鼻は、実用的な付属品でコミュニケーションとは、あまり関係ないように思う。
耳も同様で、無くてもイイとは言わないが、コミュニケーションには役には立っていない。
ヒトにとっての顔の価値は、コミュニケーションだと分かる。
自分がどう見られているか、相手はどうしてくるかのやり取り。それを顔が担ってくれる。
コミュニケーションの優先順位が、高いのだと思う。
確かに顔の使い方によって、顔つきは変化する。顔立ちは変わりようがないが、顔つきは変わる。
ヒトはそれを見て、判断している。
顔は表現者。心根を映し出す、表現者。
顔は、道具。コミュニケーションの為の、表現者。ヒトは、それを重要視する。顔を見て、自分が何をすべきかも変わるから。