きょうはく
与えられる。
効率のため、こなしてもらう。
こなさなければならないという、脅迫に包まれる。
やりたいという気持ちは関係ない。効率の為に、やらなければならない。
社会が高度化するにつれ、効率化も進んでいく。
効率化を求めれば、不確定要素を認めるワケにはいかない。
不確定要素の多いニンゲンは、その効率を求める社会に合わせるようになっていく。
その脅迫に囲まれ、様々を犠牲に生きるコトになる。
本来生きている時は、欲求があってから、行動になる。
それが、効率を求めるが為に、欲求がないうちに行動をさせられる。
気持ちもなく、カラダの準備もないまま、その時が来たらそれをやらなければならない。
たとえばお腹が空かなくても、食べないとイケないし、眠くなくても、眠らなければならない。
それをしないと健康を害する。健康に脅迫されて、行動をとっている。
コレは情報による脅迫で、情報が増えるほど窮屈に生活をしなければならない。
なぜか、高度になるほど生きづらくなっている。
もちろん社会的効率を求められるモノは、もっとキツく脅迫される。
アレをしなければイケない、いつまでにしなければイケないという脅迫は、かなりキツい。
いや、脅迫されてやらされているのが良くないというより、モッタイ無いというコト。
やりたいと思う気持ちは起こってくる。
その気持ちがあってから行動するのが、自然。
用意されすぎている。与えられすぎている。
必要なモノが必要な時に用意され、与えられるが、それがいつの間にか脅迫に変わる。
あまりに脅迫が多くなると、体も精神も追い詰める。
食べ物や眠りなどは、健康の為。健康の為に脅迫されるのは、どうも腑に落ちない。
置いておくだけでイイ。欲しくなった時で、遅くない。
本来は欲求があってからのモノ。無理をし過ぎている。
脅迫は、不自然。全てでやりたくなってからとは言わないが、本来はやらされるモノではない。ひとつひとつはもっとありがたい存在。