ふちょうめせん
体調が悪い時にだけ、見える世界。
世界の見え方は、一つではない。
体が悪い時にだけ啓く、不調目線。普段とは見え方が違うその目線とはどういうモノか。
私事だが、人生の転換期にいるせいか、カラダの好不調が、数日毎に切り替わっている。
本来なら、そんな私事をこのブログに書くべきではないが、ヒトに甘える生き方に変えたので、自身の状況を隠さずに表すコトにした。
せっかく、不調目線という健康時とは違う見え方になったので、その内容を紹介したい。
まず、健康時の生活が、とても動物的で荒いように感じる。不調の時の方が、考え方が平和的。
そして経済活動をしている人を見ると、自分が出来ない分、凄いコトだと思える。
収入の高低など、関係ない。働いているコト自体が、尊いと感じる。
派遣だろうが、バイトだろうが、全ての働いているヒトが素晴らしいと思う。
不調であると、距離を置ける。
健康な時は、ともすると自分と他人とのバランスが悪くなる。
自分ばかりが前に出て、他人をないがしろにしてしまう。不調になると、それが調整される。
自分と他人との関係が調整され、バランスが良くなる。
思いやりという行動も、理想ではなく実感として、持てるようになる。
不調の時の効果はそれだけではない。不調目線という、健康時とは世界の見え方が全て変わる。
エネルギーはどうあるべきか。それを不調目線では、死なない程度、最低限に抑えるべきと見える。
情報は、手当たり次第に得るのではなく、振り回されない程度に。少ない量でも、ひとつひとつ噛みしめる。
食べ物は、おいしさの工夫をして少量に抑える。
家族は、世の中に対応する為の、相談相手。
友人は、普段はバカ騒ぎを共有。そして、絶対に裏切ってはいけない味方。
味方になれないと思ったら、知り合いくらいにしておく。
健康時とは違う見え方がされる。しかも、より核心に迫っているように思える。
食べ物について、まさかおいしさを追求するべきとは、自分で想いながら驚いた。
そして経済活動が、尊いモノだという見え方も、自分を疑った。
お金儲けという、少し否定的な見方をしていたが、とても輝いて必要なモノだった。
もちろん、お金を追うコトではなく、輝いているのは働いている行為自体。
体調不良というのは、実に多くのモノをもたらしてくれる。
大概のモノは、すぐに忘れてしまうが、ほんの僅かだけ残っていく。それで行動が少しずつ調整されるのだと思う。
不調目線は、別世界。自分が謙虚になり、物事の意味が様変わりする。本質を気づかせてくれる、僅かな時間。