いでん
羨む存在だろうか。
欲しがるべきだろうか。
遺伝による能力。それによって、生活は様変わりする。
生きていく中で、遺伝的要素は大きいだろう。
でも、それだけで生きていけたとして、それを良しと思うだろうか。
やるコト成すコトが全て遺伝のおかけだとしたら、まるで遺伝に操られて生きているだけになる。
遺伝のチカラは、借り物のチカラ。さらには、遺伝を意識する場所は、ほんの一部分。
大部分の大切な受け継がれるモノは、ないがしろにされている。
見えないが、内部で沢山の働きをしてくれている。それはとてもありがたいモノ。
目に見える表面のチカラだけを評価して、見えてこない重要な働きをないがしろにするのは、先祖に失礼。
遺伝は先祖が貸してくれている、借り物のチカラ。
遺伝以外の部分が、自分のチカラ。
自分のチカラを磨いて、先祖に恩を返す。そして未来にバトンを渡していく。
借り物のチカラを越えた所から、自分のチカラ。自分の人生。自分の生きている意味。
他人の能力を、羨ましがってしまうが、そんな必要はない。
自分のチカラを、磨くだけでイイ。
遺伝による能力は、先祖からの課題。それを越えられないようでは、期待を裏切る代になる。
とすると、それなりの遺伝の能力で、良いように思う。課題もそれなりで、越えるのもさして難しくない。
そういう遺伝の方が、気が楽。
そう考えると、羨むのは方向違い。遺伝による能力のあるヒトに対しては、大変だな、ご苦労さんと思いたい。
遺伝は借り物。課題を乗り越え、自分の生き方で恩返しするモノ。羨まず、自分を磨いていく。