おじぞうさん
何もしない。
それがいい。
お地蔵さんは何もしない。ただ、そこに居るだけ。
仏像や、神様の像も何もしないが、ヒトはお願いやすがりついたりする。
でも、お地蔵さんには何もしない。お地蔵さんとは何だろう。
ヒトがお地蔵さんを求めるのは、なぜだろう。
お地蔵さんは石で出来ている。小さなお坊さんのような格好で、佇んでいる。
動きはしないし、何もしない。でも、見守ってくれているような気がする。
いつでも同じ場所にいて、見守ってくれているような安心感をくれる。
誰でも受け入れるし、ナニものをも差別したりしない。お地蔵さんは、そんなイメージ。
おそらくただの石だが、ヒトによってはそれ以上の存在になっている。
いろんな嫌なコトを、お地蔵さんが代わりに背負って、そこに佇んでくれている。
決して動かない。この動かないというのも良い。
世の中はめまぐるしく動く。人も物も、どんどん変わってしまう。
動かないモノがあってもイイ。というより、動かないモノがあって欲しい。
動かないというのは、安心感になる。そこだけは何も変わらない。そう思うだけで、記憶の中の昔が、蘇る。
記憶は拠り所。ヒトは、記憶の世界を拠り所として、迷った時などそこで佇む。
本来それは記憶の中のコトで、現実ではない。でも、子供の頃と変わらない姿がそこにあれば、帰るコトが出来る。
それは、何よりも強い安心感。
動いてしまうモノは、その度に対応しなければイケない。でも止まってくれていれば、そこを原点に今の自分を確認出来る。
動かない方が良いのかもしれない。
現代は、動きすぎているのかもしれない。
何もしないし、動きもしない。だからこそ、勝手に想って、勝手に帰って、気持ちの荷物を少なくできる。
その前をただ通り過ぎる。でも、いつも見守ってくれている。
ありがたい。そう思うのは、きっと沢山のコトを、してくれているから。
お地蔵さんは、拠り所。何もしないし動かない、そこがいい。心癒す大切な仕事を、実はしてくれている。