じかん
いらなくなる。
辿りついてしまうと、要らなくなってしまう。
辿りついてしまえば、時間は要らなくなってしまう。
そのあと続いていく、膨大な時間をどう過ごせばいいか、分からなくなる。
もしも人生に目的があって、それを完全に果たせたとする。その段階で、あとの時間は要らなくなってしまう。
それ以上ないという所まで辿り着いた段階で、見失う。生きる理由。そのあとの時間の使い方。
どうして生きているのか。他の生命はなぜ生きているのか。
おそらくはお腹が空くから。あらゆる生命は、お腹が空くから、生きようとする。
仮に、お腹が空かなかったとする。その状態では、生きている感覚も弱くなってしまう。
生命の原点は、空腹。健康の原点も、空腹。
その飢餓感の中で、一生懸命生きる。
その一生懸命生きてきた事実だけは、残っていく。多様化や、知恵の事実だけ、伝えられていく。
膨大な空間と、時間を使って、様々な変化や想い、助け合いの事実だけは、そこに刻まれている。
この宇宙がある意味。時間がある意味。その中で、生命が生きていく意味。
事実だけが、それを意味づけてくれる。豊かで、厳しくも楽しい世の中が、構築されている。
それだけで、宇宙はあっても良い。時間はあっても良い。
これからも、続いてくれて良い。そこに事実が刻まれ、それだけで意味がある。
意味を見失っても、生きるだけで意味はある。どう生きるかの事実が、素晴らしいドラマになる。
時間は、可能性。宇宙や時間は、様々な変化を作る舞台。生ききる事実が、立派な仕事。