から
法律を作れるのは、誰なのか。
大事なのはその形式か、それとも中身だろうか。
形式に重点が置かれて、中身がないがしろになっている。
政党は、国会での過半数を血眼になって、目指す。
過半数になるコトで、法案が通りやすくなる。
ただ、それは法案が通りやすいというだけで、中身は一切含まれていない。
中身を作らなければイケないヒト達が、空っぽの形式に重点を置いて、血眼になっている。
法律を作り、改めるコトが出来るのは、国会議員。
ただ、法律というモノを魔物のように大きな存在ととらえて、恐れてしまっている。
その為に、形式も守らないといけないと思い込んでいる。
改めるコトの出来る人間が、対象をあまりにも大きくとらえては、何も出来なくなる。
もっと小さいものととらえなければ、何も改まらない。
法律はルール。国民の為になるモノであれば、どんどん変えていいモノ。魔物ではない。
変える為の形式も、手続きととらえ、小さくする。法律を変えるのは、ただの手続き。
重要なのは中身であって、手続きではない。
国会議員は、手続きに重点を置いて、その為の行動にチカラを注ぎすぎている。
手続きにチカラを注いでは、出来ない。チカラを注ぐべきは、中身。手続きばかりでは、空っぽになってしまう。
中身を作る為には、全体を見渡し、人々の苦しみも知らないといけない。
その上で、こうした方がイイという、改善案が出されていく。
それが普通だが、日本はそのほとんどを、外国の出来合いのモノをマネて作っている。
それだけに、本当の意味で法律の作り方を知ってはいない。
日本国憲法や、法律が悪いのではなく、それを作るだけの技術が備わっていない。
それを作る技術が、中身。
マネをするヒトは、元以上の考えには、どうやっても辿り着けない。
マネるヒトは、全体像も見ていないし、ヒトの苦しみも知らない。
残念なコトに、日本にはマネるヒトばかりが、国会議員になっている。これでは出来ない。
中身を作る技術がない。最低条件を満たしていない。
過半数をとる為の活動だけでも、格好がついてしまうので、それに終始する。
中身がないがしろにされ、いざそれが必要となると、やり方が分からない為に右往左往してしまう。
まずは国民の為なら、法律というルールはどんどん改めて良いモノだと、認識をする必要がある。
改める為に必要なモノ全てを、手続きという言葉でくるんで、中身とは別のトコロに置く。
国会議員の数合わせも、手続き。中身ではない。
政党どうし、または政党内での権力争いが、マヌケに見えるのは中身がない空っぽの手続きだから。
カラは手続き。中身を作る技術に、もっと重点は置かれるべき。マヌケに見えたら、そういうしくみ。