しんり
行動のウラ側を、説明したい。
どうして、隠蔽するのか。そして、迷走するのか。
その行動のウラ側にある心理を、説明していく。
なぜ隠蔽は行われてしまうのか。
それは、無かったコトにしたいという心理。
重大な物事が起こったとしても、それを自分たちの手で直せれば、無かったコトに出来る。
無かったコトにすれば、責任問題にもならないし、特別に何かが変わるコトもない。平常時と同じでいられる。
つまり隠し通せれば、何もしなくても良くなる。
それが、ベストを尽くしたコトになるかといえば、隠蔽や取り繕いにベストを尽くしたコトになる。
被害を最小限に抑えるのならば、他に方法があり、それはまるでしていなかったと言える。
では、迷走している方はどうだろう。これは当然現政府となるが、ある意味仕方のない状況もある。
初めてのコトでもあるし、さまざまな所から、一気に情報は押し寄せてくる。
それを捌ききるのは、非常に困難と言わざるを得ない。重要なコトは、どの情報を得て、どれを切り捨てるかというコト。
その場その場で、決断を迫られる。実は決断というのは、実際その立場になると、とても難しい。
混乱して、分からなくなる。この分からなくなっている状態が、迷走を生む。
なぜ分からなくなるかと言えば、主となる場所を国会に置いてしまっているから。
国会はセレモニー。予定調和で進む、儀式にすぎない。
儀式なので、まるで広報と広報のやり合いのようなカタチで、終わってしまう。
主を、それぞれの現場に置く。国会は、発表の場でしかない。そこからは何も生まれはしない。
分からなくなったら、現場に行けばいい。そこに全ての答えが、用意されている。
総理では、SPだらけで本当の声は聞けない。とすれば、役無しの国会議員を配置する。
現場にいれば、ああすればイイ、こうすればイイ。ここはおかしい、なぜこうならない。
様々な考えや、怒りが湧いてくる。それを国会議員が伝え、それをモトに対策をとればいい。
現場を体験すれば、やるべきコトはおのずと見える。もちろんパフォーマンスで行っては、何も分からない。
一晩でも泊まり、共に生活をするコトは、最低条件になる。
国会を主ととらえ、そこで上手く振る舞おうとしても、分からなくなって迷走するだけ。
あと、出来るならばいつでもゴールを決めておくコト。ゴールを決めれば迷わなくなる。
ゴールは理想型で、その一点を見ていれば、どんな嵐に巻き込まれても、迷うコトはない。
心理は、ウラ側。無かったコトにしたかったり、答えのある現場から離れてしまっている。なるべくして、その状況に陥っている。