どっかい
最初は文字など無い。
あらゆるモノが文字に置き換わり、表現されてきた。
読解というのは、文字をまた、あらゆるモノに還元する行い。
最初は絵だった。
現実の物を、そのまま絵にした。
絵で物事を伝えるのは、上手でないとイケないし、時間も掛かってしまう。
誰でも書けて、時間も掛からないように、単純化され記号となった。それが文字。
あらゆるモノが文字化され、誰でもが使えるようになっている。
それを再び、イメージや実際のモノに戻すのが読解の能力。
モノ←→文字。文字←→モノ。
これは意外に難しい。適切に文字化されていないコトもあり、その場合は補完しなければイケない。
本来なら、かなりの訓練を、時間をかけて行いたいところ。
始めは、簡単なポーズをとり、それを文字化する。相手は、その文字を見て元のポーズを再現する。
このポーズひとつとっても、難しい。なぜなら腕を上げてと言っても、頭の上までピンと上げるのか、小さく上げるのかなど、いろんな可能性が出てくる。
正確なポーズをとらせたいのであれば、事細かな指定が必要になる。
もしもそれを、極力少ない言葉でとなると、かなりの言葉選びが必要となる。
足りない言葉を補完するならば、いくつかのパターンの中で、一番ふさわしいモノを選ばなければいけない。
それでも、正解という保障など無い。言葉が足りない場合、厳密に言うとどちらにも転がるコトが可能と言える。
正確に伝える為には、より的確に文字化する伝達能力が必要になる。
的確に文字化されているのに、間違えるのならば、読解力がないと言われても仕方がない。
その場合は、簡単なモノから、何度も訓練して身につければいい。
ただ、一番多いのは、文字化の段階での不備だと思う。的確に説明できていないのだと思う。
文字化している方は、的確に伝えていると思い込んでいる。でも、的確ではないコトは多い。
そこにまず気づいて、改善する必要がある。どういう言葉なら伝わるのか。
的確に伝わるように、伝達能力を高めていく。
必要なのは、読解力ではなく、伝達力のような気がしてきた。
あらゆるモノは言葉化されてきたが、どれをチョイスするか、その精度はあまり求められてはこなかった。
読解も、伝達も、あまり訓練されないまま、放し飼いできたように思う。
どの程度伝わるのかの確認や、文字からのイメージにする作業に、不慣れなのだと思う。
読解は、再構築。文字にしたり、イメージにしたり、簡単そうで難しい。まるで手つかずで、来てしまったモノ。