あした
当然のように、来てくれるモノ。
それが本当に来ないなら、どう思うだろう。
明日というモノが、来ないとすると、どうしたいと思うだろうか。
今日という日が最後で、本当にもう明日が来ない、そんな状況が来たら、心の持ちようが分からなくなる。
明日というモノがあるというのは、とてつもない安心感がある。
嫌なコトに包まれているとしても、明日があるコトが当然なので、世界は開いている。
ただ、本当に今日だけで終わりだとすれば、世界は閉じる。
今日をもって、広がっているハズの世界が、閉じるコトになる。
それはとても不安にさせる。自分という者と、その自分が生きてきた身辺の全てが、悔いに変わる。
それらは、開いている世界の中で必要なモノ。
閉じると分かるならば、必要ないモノ。
でも一番の不安は、自分。狭められ、閉じられていく世界というモノに、心の準備などは出来ない。
明日があってくれるので、自分が自分でいられる。
明日という存在も、自分をつくる要素のひとつ。
未来が広がっていてくれると思うから、自分は生きていこうと思える。
様々を想定して、邁進できる。
明日は安心感。世界が閉じるのか、広がるかで、心の持ちようも変わる。当然来るのではなく、来てくれるありがたい存在。