やぼ
粋や風流を、考えてみたい。
それは動じずに、とても涼しげ。
動じてしまうのは野暮で、それは動物的な行動と、言えるかもしれない。
環境は決して芳しくはないその中で、動じてしまうか、動じていないフリをするか。
それによって、野暮であるか粋であるかが決定される。
ある意味やせ我慢をしてでも、涼しげを演じきる。その自分の様子に、惚れ込む。
この粋というのは、ひとつの知恵かもしれない。自分の行動を、理想型に当てはめ、戒めている。
風流というのも、自然をそのまま受け止めつつ、ささやかに演出して、それを楽しんでいる。
それはもしかすると、ただのごまかしかもしれない。ジツではない。
ジツではないが、そこに上手に心や感情を絡ませている。
これにより、より深い味わいを出すコトに、成功している。
現在の生活は、快適さを求める。それは良いよう見えて、野暮なだけかもしれない。
カラダの欲求に合わせ、環境を快適に無理矢理変えてしまう。
その結果の様子というのは、粋や風流とはほど遠いモノになってしまっている。
不快な状況でも、工夫してそれを楽しんでいく。自分の考え方を変え、そんな自分の様子に、惚れてみる。
そんな粋や風流を、もう一度見直すのも、面白いかもしれない。
知恵を使って、現代なりの風流を編み出してみる。
昔よりも、技術は進んでいる。やりようによっては、とても面白いモノが、出来るかもしれない。
順調に進んだのであれば、変わる必要はない。うまく行かなくなって、そこではじめて知恵の見せ所になる。
現代なりの粋や風流を、編み出していく。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など、様々な感覚も利用する。
植物にも協力して貰い、より涼しく心地よい風を、楽しみたい。
捨ててきた知恵の中からも掘り起こし、生活の形態も見直したい。
野暮は、動物的。粋で風流を、試したい。もっと自然と共に、そしてそれを楽しんでいく。