おとしよりは
気にいっているワケではない。
ゆっくりとしか動けないカラダが、忌々しい。
お年寄りは、ゆっくりとしか動けないカラダを、気にいっているワケではない。
どうしてお年寄りがゆっくりと、信号のない道路を横断するのか。危険な行為をしてしまうかずっと考えていた。
危険な行為であり、迷惑でもある行為なのに、平気でする意味がまるでわからなかった。
ただ、私自体が最近少し、調子がおかしい。今まで通りが出来なくなっている。
今まで通りに動こうとすると、どうもカラダが辛い。しかも、少し休んでもなかなか回復しない。
気持ちは動きたいのに、体を動かすとすぐに動けなくなる。
一時的なモノなのか、老いによるモノなのかはわからないが、その状態になって気づいた。
お年寄りは、自分がゆっくりとしか動けないコトを、気にいっているワケではない事実を。
気持ちとカラダというのは、同じ年でいてはくれない。
気持ちは基本的に年はとらない。年をとるのはカラダや環境で、それに気づいて気持ちも年寄りになっていく。
動かないカラダに合わせて、行動を制限していく。
お年寄りは、歩いているとすぐに腰を下ろして休む。
これはそうしたいのではなくて、そうしないと体が保たないため。
ゆっくりとしか動かない上に、すぐに限界が来て、休んであげないと保たない。
どうやらお年寄りというのは、厄介なカラダと共に生きているヒトと考えていい。
望まずとも、そうなってしまう。そのカラダに合わせて、生きていくしかない。
そう考えれば、道路を無理に横断するのも、すぐに腰を下ろすのも、納得出来る。
気持ちは私たちと変わらず若いが、カラダが老いて動きづらくなっている。
ただ、個人差もあり難しい問題とも言える。動きづらいヒトもいれば、結構動けるヒトもいる。
全体の傾向がそうであっても、すべてのお年寄りを一緒くたにしては、的確ではなくなる。
生きているヒトみんな、気持ちは年をとっていないと、考えていきたい。それを前提に接していく。
お年寄りなのは、カラダのみ。気持ちは、年をとらず若い。自分が老いたなら、無謀な横断はしないように、気をつけたい。