えすかれーしょん

ぺーじ

ぺーじ

日常が、綴られていく。

それぞれの生き様を、そこに落とし込んでいく。

人生が一冊の本であるとする。そこには絶頂のページもあれば、低迷のページもある。

1日に何ページも埋まっていくコトもあれば、何日もかかって1ページに届かないコトもある。

それぞれのページの構成。でも、それぞれとは紛れもなく自分の人生。

厚みのある本になる場合もあれば、薄い本で終わる場合もある。

自分のしてきた現実が、そこに綴られる。

完成するコトの方が珍しい、人生の本。ほとんどは、途中で終わってしまう。

終わりは自分で決められない。自分で決めたとしても、その人生はおそらく中途半端と言える。

ならば1ページ1ページを、充実して満足したモノにしたい。

終わりなんかまとまっていなくても、途中が良ければいい。綺麗には終わるコトなど出来ない。

想い出の中の、大切な部分を振り返って、そこで実感する。

生きていたという実感。幸せだったという実感。

重要なのは、その1ページ1ページを作るコトで、今の瞬間瞬間が、まさにそれになる。

とはいえ、ほとんどの場合は不毛に生きてしまう。自堕落で、薄い内容になる。

いや、薄くてもイイかもしれない。大切なコトは、他の所にあるような気がする。

そこにヒトとヒトの心のふれあいがあれば、それはとても充実した1ページになる。

情報やモノだけのやり取りで、心がふれ合わないページならば、そこに自分は存在しない。

確かにそこに存在していたハズの自分が、どこにも確認出来なくなる。

ヒトの中の自分こそが、確認が出来る自分。なぜなら自分は自分で見るコトが出来ない。

鏡を使えば見えるが、いつも鏡を見て生きるワケにもいかない。

自分を確認するというのは、自分に対するヒトのリアクションだけ。それで確認している。

充実しているかどうかは、楽しいかどうかではなく、ふれ合いの中にあるかどうか。

他のヒトが入り込むというコトは、自分ではどうにもならないコトが、増えていく。

それが良いのかもしれない。自分のチカラでどうにでもなるコトが、多すぎるのかもしれない。

どうにもならないコトの中で、充実した1ページは仕上がるのかもと、思えてきた。

辛いコトがあっても構わない。それをどう乗り越えていくか、それが素晴らしい1ページなる。

人生の終わりなど、重要なモノにはならない。ほとんどが中途半端な終わり方。

重要なのは、中身。充実した中身がそこに欲しい。

振り返って、充実したページにこそ、生きた証しを強く感じられる。

ページは、足跡。生きた証しは、他のヒトとのふれ合いの中に。目を閉じて、ジワリと浮かんでくるモノ。

-えすかれーしょん