かんげい
家を失う。
慣れ親しんだ土地を、離れなければいけない。
もしも受け入れる側になったのならば、歓迎をしたい。それだけで救われる。
余裕が無いのなら、大したコトはしなくてもイイ。ともかく歓迎をしたい。
とても沈み込んでいる。その上で、慣れない土地に移動するのは、どれほど負担になるか。
受け入れる側が、嫌がるのか、歓迎してくれるのかで、心の安定度はまるで違ってくる。
居て良い場所があるだけで、生きる気力が沸いてくる。
全てのヒトに歓迎を。
そして、あらゆる困難なコトすらも、歓迎してみる。お待ちしておりましたと、迎えてみる。
歓迎は、受け入れる側にとっても、前向きな行動と言える。
受け入れるというコトを、歓びをもってする。これは相当、上等な行為。
するコトは、粗末なコトで構わない。物理的には、大したコトが出来なくてイイ。
心情的に、歓迎できたならば、その状況に勝てたというコトになる。
仕方なしにイヤイヤやらされているでは、状況に押し負けている。
押し負けているので、イヤイヤでもやらされるカタチになる。
イヤイヤを、拒絶したならばどうなるだろう。それは、ただの逃避。逃げただけになる。
歓迎したモノだけが、勝利者。あらゆるコトに勝っている。
物事が、動かないくらい大きいなら、歓迎してしまおう。どうせ、しなければならないなら、大歓迎を演じよう。
最初は嘘だとしても、状況を喰らい凌駕する歓迎に導かれて、運命は好転しはじめる。
自分の意志とは違う所で、その歯車は良い方に回り出してくれる。それほど、歓迎は別の何かを秘めている。
いつでも歓迎を忘れずに実行すれば、歯車は好転する方向にしか動かない。
なぜならば、ヒトに生きる気力を沸かせるから。どんな状況にも、勝っているのだから。
それで、運命が好転しない理由はない。不幸を幸せの方向に転換しているので、いつでも良い方向にだけ進む。
歓迎は、嫌な方向に進んでいる事態を喰らい、強引に良い方向に転換してしまう、最強のラッキー小道具。
拒絶すれば不幸。歓迎してしまえば、幸福に展開する。
歓迎は、転換。凄まじいチカラで、強引に好転させる。全てのヒト、全てのモノを歓迎。