くれる
そのお金で、生きていける。
お金は命にもなり得る。
お金をくれるヒトを、ありがたいと感じる。それは命をくれているから。
もしもお金を持っているなら、命を持っていると考えてもイイ。
お金持ちを命持ちと言い換えて、その責任を果たすべきとも考える。
命だと考えれば、分け与えるのも当然と思うし、独占するべきモノではないコトも分かる。
ただしあくまでもその働きに対して、お金はやり取りされるモノ。
大切なのは、お金を得るコトが出来るようになった時、他のヒトもお金を得られるように、仕事を分けるコト。
それでそのヒトは、生きていける。そのヒトに家族が居れば、家族も生きていける。
無論お金は命だけではない。悦びや、癒し、実用的なモノにも変わってくれる。
とはいえ、最低限は命。さらに命と考えた方が、本質が分かる。
もしも所持金が少なければ、収入が少なければ、命が危ういとも言える。
どうすれば所持金が増えるか、収入が増えるかというのは、個人の問題でありながら、社会の問題でもある。
ある程度の所までは、まさに命なので、放っておくわけには行かない。
最低限のラインを下回るコトは、許さるワケがない。
お金を渡してはいけない。お金が得られる職を渡す。
それがないというなら、それを作る。たくさんの失敗は覚悟して、作っていくしかない。なぜならそれは命だから。
くれるは、お金のカタチをした命。お金持ちは命持ち。実はとてつもなく、重たい存在。