えすかれーしょん

ちょうき

ちょうき

予定に追われる。

時間の中に、刻まれ詰め込まれていく。

あらゆるモノが、短期に集約され、呼吸や考えの幅も、短期仕様になる。

もしももっとのんびりと、いろんなコトが長期で進むとしたら、どうなるだろう。

おそらくは、考え方も変わだろうし、呼吸やリズムもまるで違ってくる。

長期になるほどに、始まりも終わりもその数を、少なくしていく。

何よりも、自分がそこに存在し続ける時間も長くなる。

短期であれば、頻繁に移動があり、自分は同じ場所には留まらない。

逆に同じ場所にいるコトは、邪魔になり迷惑な行為にもなってしまう。

その感覚こそが、短期から長期に変わった時に、一番戸惑わせるところでもある。

のんびりした場所では、自分はそこに居ても良い。腰を下ろして自分がそこに居るのが普通で、どくコトはしなくてイイ。

短期で区切られるせわしい世界では、自分の存在は無い方が、迷惑にならなくてイイ。

それが長期になると、自分はそこに留まらなくてはいけない。自分がそこに居るコトに、意味がある。

動いてはいけない。留まり続けなくてはいけない。腰を下ろし、ゆっくりなリズムになる。

慣れていないと、なかなか難しい。短期のリズムに毒されて、動かないというコトが、苦手になっている。

動かないというのは、そこに溶け込むコト。溶け込むというコトに、不慣れになってしまっている。

そしてその場を構成する、一要素になるコトも、戸惑うコトになる。

長期の中では、ヒトは自然の中のヒトとして生きられる。ヒトの重さを持ち、そしてその場の一要素になる。

しかしながら短期では、空気のように軽く、存在しない方が、迷惑にならずに喜ばれる。

そこにはかなりの無理があるのだが、まわりに毒され、気づくコトもない。

たまにはのんびりとした場に行き、空気から人間に戻る。短期から長期に、切り替えをする。

自分が、居て許される場で、呼吸をする。すると自分が揺らがなくなる。自分の重さが、安定感を作ってくれる。

長期は、余裕。不自然から、自然に戻してくれる。詰め込んだ予定を捨てて、ヒトに戻る時間に充てる。

-えすかれーしょん