すくうべきは
得をするなら、欲望。
得がないのであれば、原因は他にある。
救うべきなのは、違う所にある。
ヒトは様々な行動をする。その中で、ヒトに害をもたらしてしまう行動について、考えてみる。
もしも、害によりその本人が得をするのだとすれば、それは欲望。
欲望ならば、幼い行い。これは自分の為に、他のヒトを犠牲にする行為。
これを行うのは甘やかされた為に、簡単に許されると思っているから。
痛みを受けた量が少ない為に、無責任に横暴で居られる。
痛みを与えて、横暴では割に合わないと学習させる必要がある。
厄介なのはもう一つの方。欲望の方ではなくて、得をしないのに、害を与えてしまう方。
これをする人間は、救ってあげないといけない。
得をしないのに、害を与えてしまうのは、うまくいっていないから。
害を与える対象は、当事者の場合もあるし、まるで関係の無いヒトの場合もある。
欲望からくるモノではないので、しなくてもいいハズのモノ。それをわざわざしている。
この人間に痛みを与えたとしても、何の効果も得られない。
また同じコトをするし、エスカレートしてもっと酷いコトをしだすかもしれない。
痛みを与えたとしても、解決にはなっていないので、そうしてしまう。まるでズレていると言うコト。
おおもとの原因から、救い出してあげないと解決などしない。
どこにあるか分からないが、原因は他にある。
原因が害を与えた相手ならば、話は早い。それは報復と考えれば済む。
困るのは、まるで関係のないヒトに、危害を加えるコト。
これは、やり易い方に転換しての行為。当事者にはやれないので、別口のやりやすい方に向ける。
それは大昔から、ヒトがよくやっているコト。
まるで別のモノに向いてしまう、代償行為。
得をしないのにわざわざやるのは、何かに虐げられているからと、結論づけられる。
虐げられている者が、代償行為として、他の者に害を与えてしまう。
まるでマヌケだが、ヒトの世界ではよく行われる、スタンダードな振る舞い。
その虐げられているモノから、救ってあげなければ、何も解決しない。
いくつかクッションを置くので、分かり難いが、わざわざやっている場合、その奥に問題が潜んでいる。
その問題を解決して、虐げられている状況から救えた時に、本当の解決に出会えるコトになる。
救うべきは、虐げられている状況。わざわざしてしまう、代償行為。解決は、虐げられてるモノ探しから。