ふこう
豊かを望み、突き進んできた。
豊かの中にも、潜んでいる。
不幸は、豊かの中にも貧しさの中にも、潜伏している。
未来の為に豊かになるコトを望むが、それが叶っても幸福になってくれるとは限らない。
貧しさと不幸は、イコールなんかじゃない。不幸は、疎外と居場所の無さが生む。
社会に格差が生まれた時、それは生まれる。
格差が不幸の原因と言って良い。豊かさの中での不幸は、特にキツい。
仲間が居ない上に、抱え込む。
共有してくれる仲間や、味方が居ればひもじくとも、追い詰められるコトはない。
味方が居て、居場所や許しがあれば、生きていく道が拓ける。
不幸は格差から来るが、それはあっても構わない。
味方が存在してくれれば、格差も乗り越えられる。
ただ格差というのは、境遇の違いをつくる。
境遇は違っていても、味方でいられるか。特に貧しい時は、道をうしなってしまう。
道を失ったヒト、追い詰められた人は、悲劇を描く。
豊かであっても、貧しくあっても、味方が居なくては先細る。
馴れ合いではなく、生き方を許し、困っている時にだけ心をさしのべる。
未来は、豊かになる方に進むコトを良しとしてきた。
でも本当は、味方が沢山溢れているようにと、望んだ方が幸福な未来と言える。
生き方はそれぞれ。それを認め許してくれる存在。そして困っている時は、道を提案してくれる存在。それが味方。
違う境遇の上に、生き方まで違うヒトを認めるのは難しい。困っている時に、手をさしのべるのも、厄介。
損得でいえば、損をしてくれるのが、味方。それが溢れ、味方同士が増えれば、貧しくても豊かでも、幸福なはず。
不幸は、貧しさじゃない。味方が居なくて、共有出来ないコトが不幸。願うのは、味方で溢れる未来。