はっぴーえんど
物語なら、終わりがある。
生活というモノには、それがない為に、ダラダラと続いていく。
生活の中にも、ハッピーエンドを構築しても良いと思う。
日々の生活というのは、終わり無く続く為に、ダラダラとした印象を描いてしまう。
終わり無く続くのであれば、そこに区切りを作り、強制的に終了とさせる。
もしも、予定通りコトが運んだならば、大成功でハッピーエンドとなる。
うまくいかないというコトであれば、仕切り直して、再チャレンジになる。
日々の生活の中では、予定通り行くコトはとても多い。
それゆえ、少しつまずいただけで、大混乱に陥るという事態になる。
日々の出来事において、予定通り進まないコトがあるだけで、不幸な想いに包まれてしまう。
これはヒトが、予定通り進むのが、当然だと考えている結果起こる現象。
さて、予定通り進むコトは、当然なのだろうか。
予定というモノは、自分の未来を現実的に、ある程度想定するモノ。
予定通りというのは、想定と実際の未来が、同じであったというコトになる。
未来が想定出来るというのは、どれだけ他のモノを排除してきたかと、想像してみたい。
他のモノというのは、不確定要素と言い換えられる。
それは様々であるが、もし生き物だったとしたら、明らかに排除したと考えてイイ。
生き物でない不確定要素ならば、他のヒトの努力によって、構築されているだろうとも想像出来る。
予定通りを作り出す為に、見えないかもしれないが、様々なモノを土台に踏んづけている。
そういう面から見ても、予定通りは当然ではない。それはとてもラッキーでハッピーな現象。
現実に生活するその中にあるのは、作り物のハッピーエンドではない。
区切って自分で意識する、現実のハッピーエンド。
予定していたモノと、同じになった時には、全てハッピーエンドだと思いたい。
世の中というのは、実はハッピーエンドで溢れている。
ハッピーエンドは、思い通り。区切れば、生活の中にラッキーやハッピーは溢れている。日々の生活で、自身で描いていくモノ。
(※予定通りというのは、時間通りにコトが運ぶなど、日常起こるモノです。)