きょうゆう
抱え込むし、悩む。
個人にだけ降り注ぐし、道も閉ざされてしまう。
いろんな問題があるのに、それを負うのは個人。共有という道は、開けないだろうか。
個人の問題を、公の問題として共有する。
個人の問題と言っても、誰もが避けたくなるし、逃げたくもなるようなモノ。
逃げたいのならば、逃げても構わない。手始めは、その問題を場に置くコト。
場に置かれた問題は、誰でも見るコトは出来る。普通は、とても逃げたくなる。逃げても構わない。
次の手順は、分析をおこなう。
この分析というのは、逃げなかった誰かがやるコトになる。というよりも、出来るニンゲンなら逃げはしない。
分析する能力のある人間が集まり、原因の追及をしていく。これが2手目になる。
抱え込んでいるのは当事者。当事者は自分の問題なので、重く受け止めてしまう。
公にするコトで、冷静に客観的に見られる。もともと他人なら立場は客観。物事だけを冷静に分析可能。
個人の問題と言っても、実は様々な要素が複合的に絡まっている。
そのヒトの性格にもよるが、私などは、それをひとつひとつ解いて突き止めるのは、極上の悦び。
そういった性格のニンゲンが、その場に集うだけでいい。
最終的には、具体的な解決策や、対応策を出すコトになる。
ニンゲンの本質や、社会の歪みからくるモノ、考え方、原因となるモノは広範囲であるが、それだけに核心。
議員などの権限を持つ者、学者、経営者など、知恵やチカラを持つ者は、その場に立つべき。
そこでチカラを貸し、解決へと導くコトが、何よりも社会的意義になる。
犯罪についても、公にして分析してみる。様々な犯罪を、核心まで突き止め、未然に防ぐよう原因を摘んでしまう。
個人が問題を抱え込みすぎる。個人の問題のように見えるが、実は誰しもの問題。
場をつくり、抱え込んでいる問題を差し出させ、公の問題に切り替えて対処する。
共有は、避けてきた道。目をそらして、逃げていた。分析すればいい。かならず全て、打破出来る。