み
記憶されていないのだろうか。
短期と長期の記憶。
実になっていない記憶なのだろうか。
脳は、長期記憶と、短期記憶をしている。
おそらく、短期記憶は意識下で、明確なモノ。
自分の意志で覚えようとして、記憶する。
長期記憶は、とてもぼやけた、不明瞭なモノ。
意識的ではなく、無意識の中にある。
思い出す時には、長期記憶の中から、ぼやけたモノを取り出す。
そして短期記憶で、それを補完し完成されたカタチにする。
長期記憶と短期記憶がタッグを組んで、思い出すという行為をしているとイメージする。
短期記憶が明確で、長期記憶がぼやけているとすると、記憶する時はどうするのが効果的だろう。
漢字などを覚える時には、その文字を100個も200個も書かされる。これは効果的だろうか。
最初のうちは、頭に入れようとしっかりと書いている。でも、そのうちにただ書いているだけになる。
まるで実になっていないと思える。ロボットのように書き続けているだけ。
この、ただ書き続けるという行為が、実は重要な記憶法のような気がする。
書き続けている内に、だんだんと意識が他の方に向かう。まるで実になってない、感じがする。
その実になっていない、頭が働いていない状況の時、無意識の長期記憶に刷り込まれるのではないかと考える。
ハッキリとした短期記憶は、確かに記憶している気になる。実になっているような気になる。
でも、実際には案外残っていない。意識的に覚えようとしても、記憶として残っていない。
意識できるモノは、短期記憶ですぐに消えてしまうのだと思う。
意識が他のコトに行ってしまう状況の時、長期記憶に刷り込まれているように思う。
ぼやけた状態で記憶し、ぼやけた状態で保管される。
長期記憶は無意識で、ぼやけた状態で入り、ぼやけた状態でおさまり、ぼやけた状態で取り出される。
本当にそうやって記憶されるのならば、漢字を何百個も書かせるのは、正しいのかもしれない。
意識下と無意識下の両方で、記憶していく。明確とぼやけての両方で、記憶される。
実になっていないようで、実になっている。記憶されていないようで、実は記憶されているのではないかと思う。