いずれ
どれだけ好きでも。
その時に、真価が問われる。
いくら好きでも、いずれ嫌な所や、ダメな所に辿り着く。
どんなに好きであっても、深く知れば辿り着いてしまう、相手の嫌な所や、ダメな所。
それは避けられない。お互い様なので仕方がない。
その時どうするか。
そこで、真価が問われる。
もちろんどんなに努力しても、相手側が原因で、修復できないコトもある。
それは逆も言える。
重要なのは、必ず訪れるというコト。ヒトであるかぎり、ダメな所や嫌な所に辿り着いてしまう日が必ず来る。
どの人にも、どんなにうまく行ってても。
どちらか担える方が担う。双方担えないのなら、その都度考える。
答えは、用意されてはいない。手探りで、失敗ばかりしながら、世間並みにようやくなれる。
傷だらけの中、罵り合うか、慰め合うのか。そこでも問われる。ホンモノかどうかを。
ヒトとヒトは息が合えば、深く知りたくなる。親しくなるほど、さらに知りたい。
気も許し、本当の部分が見えてくる。本当の部分というのは、普段は隠しているモノ。
本当の部分なら、ダメな所や嫌な所が直結する。
出来るコトならば、最初からダメな所が気にならない仲でありたい。
ダメな所、嫌な所を許せ、かわいいと思えれば、なお良い。
好きで充満させるよりも、嫌な所を許せるかに、重点を置く。
いずれ、辿り着く。そこで壊れてしまうか、より強く結びつくか。そこから、本当が始まる。