じっせん
なぜか、役に立たない。
絶対的な存在の、ハズなのに。
学んだモノが、実戦では役に立たない。どうして、そうなってしまうのだろう。
学びは断片。そして実戦は、360°にひらいた世界。
学びは、ヒトが探求してきた賜物。ヒトからヒトに受け継がれてから、さらに先に追求していく。
追求は悪じゃない。でも、一点を目指すその動きは、狭い方に導かれる。
研究するモノは、どうしても狭い世界の中で、探し求める。
この中で、次に渡され、さらに進んでいく。
実戦というのは、360°の広すぎる世界。狭い世界で通用するのは、その狭い内側のみ。
世界は広い。学びの基礎となる研究も、広い視野で方向を修正しなければイケない。
入り込みすぎてしまった研究者に、気づいてもらうように仕向けていく。
学びは悪くない。悪いのは、それが絶対的なモノだという位置づけ。
そして、それが世界の全てだという、解釈。
あくまで狭い世界。断片でしかない。それだけに、定期的な方向の修正も、組み込みたい。
実戦は、多方面の要素。学びは、局面。2者の間の役に立たないゾーンを、どう潰そう。