ざつぜん
調和がとれている。
自然の姿。
雑然としているのが自然の姿。それで、調和もとれている。
整理整頓されているのは、何とも不自然。
そこには、人間の手が入り込んでいる。
ヒトが、整理整頓を良しとしている。モノが、ヒトの生息域を邪魔しないようにしている。
雑然とするのが自然だが、ヒトが活動するのなら、整頓されていた方が好ましい。
雑然に手を加えて、すこしずつ片付けるコトになる。
片付けても、また雑然に帰ろうとする。それをまた片付ける。その繰り返しが続く。
自然が作る雑然ならば、調和がとれたカタチにおさまる。
しかしながら、ヒトが作る雑然に、調和はない。
これは、他のモノが介入できないコトが、原因になる。
自然ならば、他のモノが自由に入り込む。その中で、偏りは平らげられ、時間をかけて調和になる。
人はそうはいかない。他のモノをヒトは排除している為、偏りはより酷くなるコトはあっても、平らになるコトはない。
ヒトが作る雑然は、ヒトが平らにしていかなければいけない。
雑然は、とても自然。としても、活動するにふさわしい場は、自らのその手で。