かつじ
重荷となる。
読む前の段階から、うんざりが始まる。
活字に対して、どうしてこうも苦手なのか。
活字も、少なければうんざりはしない。
それが集団で、何ページにもわたって出てくると、話は違ってくる。
活字というのは、文字の大きさ、文字数、ページ数、本の厚みなどで、かなり簡単に全体を把握できる。
そのあと少し読めば、どのくらいの時間が掛かるかも、計算できてしまう。
活字は、総量を感じさせながら、読み手と対峙する。
この時、読み手にそれを相手にする能力、気持ちがなければ、ただの負担に変わる。
よほど強い気持ちが、活字相手には要る。
映像や音声ならば、流れて自動的に入ってくる。活字は、自動ではなく手動に近い。
自分の気持ちがなければ、1文字も進むコトはない。
気持ちはヒトによって、さまざま。そして、活字を相手にする能力も、ヒトによる。
文字が無かった時代。その時起こったコトが、後世にまで伝わるコトは、難しい。
文字が出来たコトで、後世にまでその時代の詳細を、伝えられるようになった。
文字というのは、時代を越える。
その頃の文字と、現代の文字と、果たして意味合いも同じだろうか。
難解さは、おそらく昔ほど、強くなる。では、量はどうだろう。
これは、時代が進むほど増えていく。減るコトはあり得ない。
そのあまりにも多すぎる文字達と、お相手してくいコトになる。
この時、誰でも同じように文字達と相手が出来ると思うのが、間違いのモトになる。
そのヒトが処理できる、活字の量とスピードがある。
他のヒトに合わせる必要はない。競う必要など全くない。
重荷と感じたら、それは少しばかり相手にする活字が、多すぎる。
少しずつ、そしてゆっくり進めていく。他のヒトと争っても仕方がない。自分のペースを、守らなければならない。
活字は、負担にもなる。自分の能力を、越えているのが原因。自分のペースは死守したい。