おとな
偽る。
フリをしている。
大人であると偽っている。本当はフリをしているだけ。
子供と、どれほどの違いがあるだろう。
たしかに、子供に比べれば、自分を抑えられるようにはなっている。
衝動的な気持ちも、大人になるにつれ、薄れる。
とはいえ、気持ちが無くなったのではない。欲求は、子供の頃と同様に存在する。
子供がやって楽しいと思うコトは、大人でもそう思う。
子供が分からないコトの中には、大人でも分からないコトがある。
その時、大人は分かったフリをする。分からないのに、分かっているそんな大人を演じる。
世間の目を気にして、大人は大人のフリをする。
それはズルさ。大人のズルさと表されるモノ。
なぜ、ズルくなる。確かに、自分を良く見せようとする、側面はある。
側面のもう一つに、そうでなければいけないというのも、隠れている。
本人はそうなりたくなくても、求められる。そこに、ズルさが生まれてくる。
どんな時も、ズルさというのはもの悲しい。ウラ側に、とても悲しい要素をもっている。
能力があって、衝動を抑える自制心も持つ。それが大人。それを求められる。
例外は許されない。
それほど子供と変わらなくても、演じなければいけない。大人のフリを求められる。
大人は、演じる。それはズルさ。そして、本当の姿では許されない者の、悲しいあがき。