ぬくもり
暖かさは、とてもやさしい。
暖かいだけなのに、なぜかやさしい。
ほんの僅かな暖かさに、ぬくもりを感じる。
そこには、熱以上のナニかが、あるのだろうか。
ぬくもりを感じる時、思うのは生きていて良かったというコト。
ぬくもりに触れると、生きている喜びに出会える。
普段から、当然だが生きている。それでもさして生きている喜びを、感じてはいない。
どうして、ぬくもりを感じた時、生きている喜びを感じるのだろう。
寒すぎると、どうか。極端な話で言えば、死体は熱を持たない。
生きているモノは熱を持つが、死体は外気と同じ温度になってしまう。
熱を持たないというコトは、死。寒いというのは、その死の断片なのかもしれない。
死の断片にいて、ぬくもりに出会えた時、細胞ひとつひとつが、生きる喜びに沸くのかもしれない。
寒い時は、ある意味死んでいる。凄く我慢して、堪え忍んでいる。それだけに、熱はありがたい。
とはいえ、やはりただの熱ではなく、生き物からのぬくもりの方が、やさしいと思える。
このやさしさは何だろう。もちろん、哺乳動物が生きられる環境は、だいたい同じ。
ならば、体温も似通ってくる。それで、動物からのぬくもりを心地良いと感じているのかもしれない。
ただ、それだけでもない気がする。
そのやさしさは、寒さを知るぬくもりのような気がする。
細胞ひとつひとつが、寒さを知った上で熱を出している。それだけにとてもやさしく、とても心地良い。寒さ=死を知っている。
ぬくもりは、死を知るものから発せられる、暖かくとてもやさしい命。