わからないまま
そのまま終わる。
その中に、ずっと居る。
物事はその多くが、分からないまま。
ヒトの生活はその中で、分からないなりに、構築される。
そのまま生き、苦しみ、考え、それでも分からず、最悪朽ちていく。
残酷な現実が、切り口から大きく顔を覗かせている。
それを感じながら、それでもヒトは生きていく。それぞれに迷いながら。
答えなどは、最初から決まっている。乗り越えるか、耐え続けるかその二つ。
朽ちるというのは、結果であって、ヒトが答えとして用意するモノではない。
朽ちるという残酷な現実は、答えではない。つまり不正解。不正解であるが、そういうコトもあるという事実。
そんな嫌な事実が横にあって、それでも有意義に生きて行かなきゃならない。
分からないだらけに囲まれて、分からないまま終わっていく。
それでもヒトの営みで、沢山のコトは突き止められた。
他の生き物と決定的な差は、そこだろう。しかもそれを、次の世代が引き継いでいる。
時間を越える文字により、次の世代は、その答えを受け取り、また次へ。
それなりに深いトコロまで、突き進んだ分野もある。それが影響して、全てが分かった気になってしまう、勘違いもまた多い。
研究者が居るならば、いずれ突き止められる。でも、研究者が居ない分野は、永遠に分からないまま。
身近なあれやこれも、分からないまま。そのまま。そこに埋もれて、そのままに居続ける。
それは苦しみ?それとも当然。どちらにしても、まだまだ分からないの中で、生きていると言って良い。
分からないまま迷い続ける姿は、次の世代の肥やしになる。その肥やしで、少しずつ現実は変わっていってる。