はんい
呆然とするだけ。
差があり過ぎると、呆然と立ち尽くすだけ。
受け入れられる範囲がある。それを現実が越えてしまうと、呆然とするだけ。
無意識のうちに、想定しながら、生活している。
そこには、範囲があって、日常はその範囲の中におさまってくれる。
そこから、現実がはみ出すと、自分が何もない世界に送り込まれる。
何をしてイイのか分からない。怒るコトも、悲しむコトも、笑うコトも出来ない。
あまりのコトに、感情すら消え去り、逆にとても冷静になる。
冷静にはなるが、そのあとが出てこない。どう行動してイイのか、それが何一つ出てこない。
受け入れるコトが出来ていない状況。それを受け入れるのには、時間がかかる。
現実が残酷すぎる場合、それを日常の範囲に入れず、別物として夢の中の出来事のように処理する。
受け入れられるようになるまで、夢として寝かせてしまう。
もしも、その残酷を最初から受け入れたとしたら、どうなるだろう。
おそらく、自分の中にある根本のルールが、書き換わる。
より残酷を日常と捉えるように。それは、短絡的で、野獣のよう。
本能的で、浅い世界。
その考えの範囲になってしまうと、それ以外の現実は受け止めにくくなる。
その時の現実により、ヒトは幾パターンかの範囲で、生きていく。
自分のもつ範囲以外の現実は、なかなか受け入れがたい。
そこに限界がある。ヒトは、受け入れられる範囲に縛られている。
範囲はパーツ。いくつかのパーツで全て揃う。その時その根底にある、ヒトの真実が、さらけ出されるように思う。