えすかれーしょん

うむ

うむ

真っ白と真っ黒。

どちらも同じ。

真っ白と真っ黒は、どちらも同じ無。

真っ赤も、真っ茶、真っ青も、全て無。

何もないのが無ではない。ただひとつのモノで埋め尽くされた姿を、無という。

その中に、違うモノが混ざって、初めて有になる。

異物こそ有。異物が沢山なら、それはとても豊か。

ココに自分が居るとすれば、それは異物だから。存在するモノは全て異物。

そして、その土台となるモノは、無。

埋め尽くされたモノが、無と言うのであれば、我々が考えるような無でなくても良い。

土台の役割を果たしてさえくれれば、存在していても、帳尻は合う。

守られるべくは、土台はその中の有に、干渉してはイケないというコトだけ。

干渉しないので、その中の我々は気づくハズがない。存在しないと、思い続ける。

触るコトも、感じるコトも出来ない。その無。

それでも、埋め尽くされていて、実はいたる所にあるのかもしれない。

その土台の役割から解放されれば、我々と同じような、有になるのかもしれない。

有と無は、興味深い。

もしも有でも、土台と同質になるなら、存在としては消えてしまうだろう。

白の中に白。黒の中に黒。赤の中に赤。黄の中に黄。

有でも、土台と同質に出来るコトが可能であれば、きっと消えたようになる。

それが可能かと言えば、正直分からない。それでも、気づかないだけで、身近でも頻繁に起こっている現象かも・・・・。それも否定できない。

有と無というのは、突き詰めるほどに、難しい。

無は、どの有とも異質。有からすれば、無は異物。埋め尽くされているのが無なら、答えはドコにも転がっている。

-えすかれーしょん