もじ
一番価値のないモノ。
そして一番価値があるモノ。
手書きの文字というのは、なぜこうも価値を持つ。
現代では、ヒト一人の価値はとても小さい。
本来はとても価値ある存在だが、自分が優先するシステムに引きずられて、ヒトはとてもないがしろ。
そのないがしろであるハズのヒトの文字が、なぜか価値を持っている。
とてもキレイな印刷された文字。そしてディスプレイの文字。
それが大半を占める現代。
手書きの文字は、とても少なくなっている。それは希少。
希少なモノというのは、価値を持つ。
ディスプレイや、印刷のキレイで整った文字に、クオリティではかなわない。それはまるでかまわない。
それは当然のコトなので、気にするコトはない。
みんな手書きの手間を、嫌がる。
そして、手書きの重さを嫌う。重いのは、自分がそこに投影されるから。
自分の分身、そして気持ちや心も、そこに刷り込まれる。手書きの文字は、自分からはぎ取られた、もう一人の自分。
もし、それを否定されたら、自分が否定されたコトにもなる。そのリスクが伴う。
それはとても怖い。印刷やディスプレイの文字なら、気楽。すぐに消せる、すぐに殺せる。
手書きの文字は、生き続ける。文字の個性は、そのヒトの存在を意味し、その存在がずっと生き続けている。
重さは、存在を意味し、その責任を負う。無責任ではいられない。しかも未来においても、それは続く。
手書き文字から、逃げてはイケない。自分の存在が残るコトを、畏れてはイケない。
それだけの心構えを用意して、手書きに臨む。それで価値を持つ、資格が出来る。
価値がないがしろになっているヒト。そのヒトが価値を取り戻せる、糸口。
手書き文字で、一人ひとりが価値をとりもどす。一人でも、強く光る。手書き文字は誓い。