たいりつ
考えが違う。
けんか腰にもなってしまう。
対立する相手と話す時、どうしよう。
最終的に、納得出来るカタチになったコトはない。
望むカタチでもなく、最中もケンカ腰になったり、散々なありさま。
結局話し合いとは、何を求めているのか。そこから詰めないと、分からなくなる。
話し合いは、お互いの理解を深めるモノとされている。
そして、お互いの考えを、出し合う提案の場。それが好ましい。
とすると、自分の意見をただ出すというのは、話し合いではない。
まず場がある。その場に、相手の考えも、自分の考えも出揃う所から始まる。
前段階として、その作業は必須。
もうこの段階で、出来ていなかった。たいてい、考え方が入り乱れて、考えを出し合うというカタチにはならない。
考えが出揃ったら、どうなるだろう。
それぞれの考えを、もっと説明してもらうコトになる。自分の考えも、説明する。
考え方が違うのは当然。それで話し合う意味がある。同じ考えなら、話し合いなど要らない。
考えが違っても、ケンカ腰にしない。正しい、間違いが出しゃばり過ぎるのだと思う。
自分が正しいというのは、1ミリグラムも場に出してはイケない。
相手が間違いだというのも、1ミリグラムも出さない。
それは最後まで。正しい間違いは、それぞれが決めるコト。話し合いの最中では、必要のない要素。
ただ、納得できないコトがあれば、質問して確認はしてイイ。
それが話し合いの、重要な要素。
出し合って確認して、それぞれの考えの理解は深まっていく。
間違いやすいのは、正しい間違いという、余計な要素を入れてしまうコト。
話し合いである以上は、正しい間違いの要素は必要ない。
自分が正しい。それは勝ちを意味するお楽しみ。そのお楽しみが、話し合いを妨げる。話し合いではなくさせた、病原になっていた。