にんげんかつどう
とても煩わしい。
現代は、そんな煩わしいコトは、しなくても成立する。
そんな煩わしい、人間活動をしなくても、成立する。
人間活動と言っても、宇多田ヒカルさんの言う人間活動とは、少し違うかもしれない。
宇多田さんの方は、歌手活動で犠牲にしてきたモノを、人間活動としているのだと思う。
ここで言う人間活動は、どちらかというと、孤独な行動。
モノが無かった昔は、数少ないモノを、大勢で共有していた。
現代はモノに溢れているので、個人が一つ、モノを持てるようになっている。
そのため、個人で楽しめるモノが、溢れている。
そして、情報網の発達により、ヒトと物理的な接触をしなくても、コミュニケーションがとれるようになってきている。
電子的なコミュニケーションが、普通になっている。
電子的でないコミュニケーションを、人間活動としたい。電子的なコミュニケーションは、とても便利。
物理的な接触が少ないので、ヒトへの負担が少ない。
ただ、あまりに電子的なコミュニケーションばかりだと、規格化された中に、組み込まれていく。
いつの間にか、その中に追いやられ、その中で生きてしまう。
便利なだけに、そこに依存する程、機械的な予定調和の中で生きるコトになる。
それは、もはや人間的ではない、電子の活動。
ヒトとの接触が多い程、煩わしいコトは多くなるが、それこそが人間活動に成り得るように思う。
あまりに便利の中に浸かりすぎると、この人間活動が出来なくなっていく気がする。
なので、電子的なコミュニケーションはホドホドにして、人間活動を心がけてみる。
電子と人間活動。世間に合わせる人間活動も、イイ。人間に戻れる気がするので、とてもイイ。