えすかれーしょん

いのまま

いのまま

周りがつくる。

その周りにいる人間がつくる。

崇拝は、周りにいる人間がつくり、意のままに動かすコトも出来てしまう。

崇拝は、個人個人がするモノのように思う。

もしも個人個人がするモノなら、その形態はバラバラな筈。

ただ、信仰によってそのカタチは決まっている。というコトは、そのカタチは誰かがつくっているコトになる。

それが周りにいる人間。もしもその人間が悪用すれば、ヒトを意のままにも操れる。

ヒトは、とても依存しやすいモノ。その依存により、場合によっては意のままに操られる。

やり方はそう難しくはない。崇める対象はどんなモノでも構わない。

たとえば、そこら辺のTシャツだって構わない。

そのTシャツを前にして「畏れ多いぞ。直視するな。あたまをさげろ。」と、これだけ言えばいい。

してはイケないコト、それを周りが威圧して言えばいい。それで完成する。とても簡単な作りになっている。

あとは、そのTシャツ様の意志だとすれば、いろんなコトをさせるコトが出来る。

理由は、それをすれば幸せになれる。もしくは不幸が避けられるなど、それらしいコトを言えば良いだけ。

Tシャツは何もしない。ただ、周りの人間は、すがりつく人びとを意のままに操れる。

これは、大昔からヒトがしてきたコト。ジョークではない。

多かれ少なかれ威圧があるが、それが強い程怪しいと思った方がイイ。

威圧の強さは、土台の貧弱さの表れ。貧弱な程、威圧しなければ成り立たない。

そして周りの人間の行動。自分勝手に振る舞っているか、それても献身的な奉仕者か。

これで悪質な信仰か、良質かが見えてくる。

好き勝手に振る舞っていれば、それは悪質。その周りの人間が、自分たちの意のままに操っている。

信仰を使って、自分たちが得をするように、利用している。

コレはよくあるコト。日本でも大日本帝国時代は、軍部が天皇を使って好き勝手振る舞っている。

更には、戦国時代、江戸時代も、天皇を使って支配を進めている。

もちろん天皇は、Tシャツとは違うので、全てが自由になると言うモノではない。

ただ、日本以外でもよくあるコト。よく使われるやり方。

確認して欲しいのは、威圧的かどうか。好き勝手に振る舞っているかどうか。それとお金を要求する場合もある。そこはとても注意したい所。

もともと意のままに操りたい。そして欲望のままに動きたい。それがヒト。

それで信仰というモノが、よく利用される。意のままに操れるアイテム、信仰はとても便利な魔法の杖。

-えすかれーしょん