たまりば
孤立している。
孤立しても、生きられる。
孤立しても生きられるが、溜まり場があった方がイイ。
いろんな世代で、現代人は孤立し、小さな殻の中で生きている。
そして、最悪はその小さな殻の中で、死んでいく。
どの世代にも、溜まり場が欲しい。だれも拒まない、気軽な溜まり場。
その世代ごとで、興味がある物を置き、誘い出す。
どんなヒトでも、どんな状態のヒトでも、拒まない。それだけが唯一のルール。
否定や、順位付けをしない、ダレでも受け入れる場を作れば、そこに人は集まる。
ヒトが集まれば、そこはビジネスのチャンスがあるかもしれない。もちろん無理強いはしない。
お年寄りなどは、病院を溜まり場にしている。病院以外で、溜まり場を作らなくてはイケない。
未婚の男女にも、溜まり場が欲しい。何も要らない。ただその中で、一緒に遊べばいい。
あとは任せる。
出来るだけ気楽に、そして誰でもタダで参加できる。
ヒトの孤立を、少しでも解消したい。それでも孤独に戻りたいなら、それでもいい。
またいつでも、溜まり場に来ればいい。溜まり場には来るだけで意味があって、何もしなくてもイイ。
じっと見ていても、ナニかに参加しても自由。そこのハードルは、ひたすら下げたい。
いろんな状態のヒトがいる。誰も拒まないというコトは、どんな状態のヒトでも受け入れると言うコト。
このどんなヒトでも受け入れる場所が、日本の中にあるかと言えば、残念ながら存在しない。
誰が来ても受け入れる。対応していく。いろんなヒトがいる。そのヒトに合わせて対応できるよう、溜まり場は進化させ続ける。
拒む行為。否定、侮蔑、排除、嫌悪、強要それはしていけない。
といっても、それは凄く難しい。なぜなら、生活していて普通にしてしまっているコトだから。
生活の中では、ダレでも受け入れるなどはしていない。否定や、侮蔑。排除、嫌悪、強要を平気でしている。
溜まり場では、一人ひとりがダレでも受け入れるように、心構えをしなければイケない。
それで自分も受け入れられる。
結局誰でも居て良い溜まり場も必要だが、誰も拒まないココロも必要になる。
一人ひとりのココロの問題。自分の中にある、心を変える必要がある。
溜まり場は、受け入れる心があって、成立する。いつの間にか、せせこましくなった心を広げていく時期かもしれない。