ゆうこうはんい
またがない。
国を越えるコトはない。
経済の有効範囲は、限られている。
有効範囲が存在して、それを越えるコトは出来ない。
生活水準は、国を越えるコトはない。たとえ隣同士でも、国が変われば生活水準は別物になる。
もちろん生活水準自体、国内でもバラバラで、一様ではない。
ただ、多いか少ないかだけで、生活を取り囲むその水準は同じといってもイイ。
生活を構成する部品はだいたい一緒で、あとはそれが多いか少ないか。
ただ、それは国を越えない。有効範囲は国の中だけになる。
では、求人はどうだろう。求人の有効範囲はどうだろう。それは、通勤可能な圏内までと言える。
通勤が不可能な場所では、採用しても現実的にそこで働くコトが出来ない。
働く場というのは、寝泊まりしている所から、通える範囲になければイケないコトになる。
どんなに偏境でも、ヒトがいる限りは、そこに働く場を作る必要がある。
お金を得られる、仕事が必要になる。
偏境でなくても、ヒトのいる場所に、必要なだけの仕事がなければイケない。
仕事を介してお金と物の流れが、ヒトが住むその土地その土地で、確保されなければイケない。
寝泊まりしている所から、通える範囲は狭い。まんべんなく、仕事は用意されないとイケナイ。
それに満たなければ、人の生活は、立ちゆかなくなる。
仕事の有効範囲は、通勤可能な範囲というのは、分かった。では、生活水準の方はどうだろう。
なぜ、国の枠を越えないのだろう。国が変わると、何が変わるのだろう。
国が変わると、言葉、法律、文化、通貨が変わり、自由に行き来も出来なくなる。
おそらくこの要素の何かが壁になり、生活水準を同じになるのを阻んでいる。
それは何か。生活水準の基本となる部品を作るのは企業。企業の活動が阻まれれば、それ以上広まるコトはない。
とすると、企業が国を越えないと、生活水準も伝わるコトはないと言える。
生活水準の有効範囲は、企業の活動範囲まで。とすると、もっと企業が自由に動ければ、世界の生活水準は、同じようになる可能性があると言える。
もちろん、お金の流れ、基本的なインフラ、言葉、通貨などもクリアしなければイケない。
それでも、企業が自由に動ける程に、生活の水準も平されていく。
国の壁をまたいで、広い世界に広まっていく。それは、将来的に必要なカタチ。
滞ってしまった、現在には必要なカタチ。
経済には有効範囲がある。それは、またぐコトの出来ない。その事実を知った上で、どう対応する?