まなびのすゝめ
それは何か。
それをしなければ、どうなるのか。
学ばない状態を、考えてみる。
それによって、学ぶというコトをもう一度見つめてみる。
もしも、何も学ばなければどうなるだろう。生まれて、何も学ばない。そうなると何が変わるだろう。
世の中の、文字や数字も、見えてはいるが意味は分からない。
話しているコトも、理解できないかもしれない。
どうやら、生活していく上でかなり基本的な部分まで、戸惑ってしまうコトになる。
それだけ、ヒトの世の中には、ルールが張り巡らされている。
そのルールに沿った、概念を学びで身につけていないと、とても生きづらくなる。
まるでワケがわからないモノに囲まれた時、ヒトはとても不安になる。
どちらに動いていってイイのか、何をしてイイのか分からず、立ち尽くすコトになる。
学びは、その世界で生きていく為に、必要なモノと言い換えられる。
学びにも沢山の種類があるように、生きていく世界は沢山ある。
その世界で生きていくには、その世界の学ぶべきモノを、身につける必要がある。
学べばいいのではなく、学ぶコトによって、身につけなくてはいけない。
身についていなければ、やはり戸惑って動けなくなるだけ。
いかに身につけさせるか、学びの質、方法論も重要と言える。
ただ、絶対に学ばなければイケないというコトでもない。
原始的に生きるならば、さして学ばなくても済む。
あくまで高度な社会の中で、生きる為には学びが必要と言うコト。
別の言い方をすれば、原始的な所から、沢山積み上げて現代の生活は、出来上がっている。
沢山積み上げた分、沢山学ぶ必要も出てきている。
沢山の高度な世界がある。そこから得られるモノは大きい。
その世界で生きて、沢山のモノを得る為の学び。使えない学びは、積み上げてきた先人に失礼なガラクタ。
ガラクタなのか、本当の学びか、戸惑うようなら疑った方がイイ。学びは、先人からの贈り物、正しく受け止めたい。