ひとはだ
残酷になれる。
情報だけでは、残酷になる。
人肌を感じなければ、残酷になれる。
直接会うのと、情報だけの時では、感じ方が違う。
それは人肌を感じているかどうかの違い。
同じ人間だというコトを、感じているかどうかの違い。
情報だけでは、同じ人間と思えない。
前提として、同じ人間だという所から始まらない。
それで残酷になれる。
情報というモノは、全てを伝えている振る舞いをする。
でも、ごく一部しか伝えていない。それなのに、全てを伝えている錯覚を、おこさせる。
情報は、時間と空間を切り取り、伝えられる。その時点で、すでに一部分に過ぎない。
他の大半は、捨てられるコトになる。
情報は、現実ではあるけれど、まるで一部分に過ぎない。そして、伝えきれないモノが、沢山ある。
それを前提としなければイケない。
人肌を感じる時と、感じない時の違いを、もっと強烈に焼き付けなくてはイケない。
そうでなければ、残酷になりすぎてしまう。
人肌で、同じ人間だと言うコトが理解できる。その上でなければ、判断してはイケない。
情報のみでは、残酷な判断も出来てしまう。それは自分との共通性が、見いだせないから。
その状態で判断してはイケない。
とても危険なコトがある。それは、感じないまま、判断してしまうコト。