おいで
行ってはいけない。
その世界に、行ってはいけない。
おいでと呼ばれたとしても、その世界に行ってはいけない。
ひとつひとつの世界は、現実で重い。そこで自分は、生きていかなければいけない。
自分の能力が、その世界に通用するのか、確かめる必要がある。
可能性の世界は、その口を開いて、そこココに広がっている。
といっても、ひとつひとつの世界は、そう簡単ではない。
その世界に入って、自分が溶け込めるか。長い間、居続けられるか、それは重要で絶対必要な確認。
安易に入ってはいけない。
安易に入れそうでも、そうするべきではない。
沢山入り口が開いてくれるのは幸せなコトだが、それだけ見極めるチカラを必要とする。
可能性が広がっていても、自分の能力が広がっているワケではない。自分の能力は変わらない。
自分の能力と見つめ合うコト。自分の能力に合う世界が、口を開いているとは限らない。
それでも、自分の能力と向き合い、自分を把握しておくコト。分かりやすそうで、案外何も知らない。
自分の本質と、実は向き合っていない。ヒトばかり見て、自分の本質なんか、見てはいない。
世界とそぐわなくても仕方ない。本質がそうなら、仕方がない。
そぐわないと分かるのが、怖いのかもしれない。みんなと一緒で居たいのかもしれない。
ただ、才能というのは、みんなとの決別。みんなと同じでは、才能ではない。能力は無い。
決別が、能力。そこに世界が口を開ければ、チカラを発揮できる。
始まりは決別。お別れを告げるか、おいでと呼ばれるか。自分の能力と、それを発揮できる世界。妥協し待ちながら、溜めておく。そして活かせる時が来たなら、一気に放出するだけ。