でんとうぶんか
捨てていく。
未来を見れば、捨てていく。
未来を見れば、伝統文化は捨てていく。
最先端を追うなら、過去を見る余裕はない。それまでのモノを、捨てなければ辿り着けない。
でも、最先端は共有され、広がっていくモノ。みんなが同じモノを、求めている。
最先端は広まるだけ広まり、根付いていく。みんなが同じモノを持つようになる。
その段階で、特有ではなくなる。ありきたりになる。
魅力的な最先端ほど、すぐに広まり、ありきたりになっていく。
それは素晴らしいコトなのだが、先に進めば進むほど、ありきたりになっていく。
それは何かは得ているが、何かを失っているような気になる。
伝統文化は、そこが違う。進めれば進めるほど、特有になる。ありきたりになるコトはない。
伝統文化は古くさく、堅苦しく、自由がない。そんな所から、とても敬遠される。
確かにそれは間違いではない。それでも、そのカタチに至るまでに、とても長い時間がかけられている。
それは深みとして、シッカリと練り込まれている。
限られた中で、広まり、熟成されていったモノ、それが伝統文化。
それは、その時代その時代の最先端を盛り込んだモノであり、ただ古くさいだけのモノではない。
最先端と、相容れないモノではない。
伝統文化のカタチを、ただ追うだけではコピーにすぎない。コピーする度に、衰退していく。
もっと研究していく。伝統文化も一つずつ研究して、その要素を取り出していく。
研究すれば、その特有のモノを自由に使えるようになる。
最先端と融合させることによって、特有のモノになる。ありきたりではなくなる。
最先端と、伝統文化の融合。まずは、もっと伝統文化を研究しなければならない。まるで知らなすぎる。うわべを追いすぎる。
もっと中身や要素を分析していく。それは最先端の研究と同じくらい、実のあるモノ。
捨ててしまって、自分たちの伝統文化を知らなすぎる。バカにするのは、もっと知り尽くしてからでも遅くない。伝統文化には、まだ底知れないチカラが眠っている。そのままではなく、分析して、現在の最先端と融合していく。ありきたりでない特有を、使えるようになる。